低賃金労働者は潤沢な家計からの再分配を背景に、自立した労働者から職を奪う
http://d.hatena.ne.jp/kumakuma1967/20091030/p1 の続き。
b:id:kmori58さんからついたコメントにお答えついでに、タイトルのようなセンセーショナルな感想文でも書こうかな、と思ってたら、
twitterで飯田先生が↓の記事を紹介してた。
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/rd/046.html
あー、書く事なくなった。
あ、kmori58さんの指摘があった。
えー、損はありませんよね。
大学生1人の支出収入の構造では、確かにご両親のお金で飯を食ってバイトに出かけて飯代より安い給料を得ているわけです。
切り口をかえてみましょう。
世帯で切ると、飯代は大学生がバイトにいく前とあとで変わりません。収入は増えてます。
ほら、損してないでしょ。
で、その事が低賃金雇用に正当性をもたらすとは思えないんですが。
八ツ場ダムについては、伝えられるのが建設現場の話ばかりなんだが....
ダム建設中止については、建設費とか撤退費用とか、水利権の分配とかの話は出てるんだけど、ダム設置の本来の目的についての説明がほとんど伝わっていない気がする。
これまでの国の説明では「利根川の決壊による被害を防ぐため」に、ダムを建設し、水利権などなどである程度回収するってロジックじゃなかった?
ダムの最大の受益者ってのはキャスリーン台風級の降雨時に水没/孤立する可能性が高い地域の人たちなんじゃねえの?
例えば、
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/bousai/sinsuisoutei/tonegawa_zentai.pdf
↑のpdfでは無茶苦茶な面積が2m以上の水深で水没するわけで、その多くはバブル崩壊後もどんどん市街化が進んでいる地域だ。
で、
- 実は被害の見積は間違いだった
- ダムよりいい方法が見つかってすぐにとりかかる
- あきらめた、住んでる人は逃げて下さい
のどれなの?
民間社団を「生活保護」する必要はあるのか?
今朝のニュースで最低賃金の話題が出ていた。
飯田先生の本(http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20090816#p1)でも最低賃金の話題があって、今ひとつ消化不良な感じがしてたのだけど、つらつら考えていた事を書きおいておく。
最低賃金の水準が「健康で文化的な最低限の生活」を維持するのに必要な額(時給1500円くらいかな?)を下回っている現状をどうみるか、ということなんだけれど......
飯田先生は特に地方では生活維持水準に近い最低賃金では成り立たない企業が多い、というのを心配しておられた。
最低賃金以上、生計維持水準以下で大学生を雇用している居酒屋さんってものがあったとして、その大学生の労働時間に見合う分の生計費の不足分を補填してるのはその大学生のご両親の仕送りだったりするわけでしょ。
つまり、居酒屋にご両親が貢いでる状態。バイトして自分の力ではした金を稼いでるんじゃなくて、実態は「ご両親の稼いだ仕送りを居酒屋に払ってる」わけ。
視点を変えてみれば、そういう企業は、家庭なり、地域社会なり、公共なりの社会が支えて企業を経営する社団*1の存続を保護してる事になる。
○ニクロとか▼タミとかセブン&▽イとか、そういう人件費ローコスト*2企業のビジネスモデルって、得られる利益が「企業の維持水準+従業員の生活維持」を下回っていて、「社会による経済的支援を得られる事」を前提にした寄生的なモデルなわけだ。
はっきり言えば、社会のお荷物のゾンビ企業って事になる。
東京で見てたってこの手の公共の負担への寄生的ビジネスモデルは蔓延しまくっていて、他のビジネスモデルを駆逐していってる。
コスト削減っていう事で、飲食店も流通も建設業も役所の窓口や学校や図書館などの役所までそれにどっぷりつかりつつある。
これ、社会全体ではすごいコスト負担ですよ。政府が生活保護に出してる資金なんて無視できるくらいだと思う。
10年かけてでも、最低賃金は今の倍くらいの水準にもっていかなきゃダメなんじゃないかな、とは思う。
もちろん、これ、どうやればそうなるのか、なんてアイデアはないんだけど、現状が絶望的な状況って事だけは理解している。
どうしてそこまで株主の出資責任と金融機関の貸し手責任が保護されるのかよくわからん
日本航空の再建問題なんだけど、会社が潰れそうな時にパイロットがグリーン車に乗ってるのが許せない経済学者とかもいるようだけど、おいらはそれは気にならないなぁ。
過去にパイロットのストレスで飛行機を墜落させた事がある航空会社が安全確保目的でそういう規則を組合と同意の上で定めてるというだけの事なんだろうと思う。
これがフリーハンドになって伊丹から羽田まで飛行機に乗ろうとしたら、夜行バスに揺られて東京からやってきたばかりの過労ストレスフルパイロットが操縦桿握ってたなんて恐ろしいもんね。
そもそも公共交通事業で経営改善目的の安全基準見直しとかは、事故につながる恐れもあるわけで、余裕のない時には冷静な判断も期待できないだろう。
今の問題は経営問題、つまり、債務超過or過小資本が問題になっているんだから、そっちをなんとかするのが先。
で、日本航空の債務をどうするか、というのが話題の中心で、それについての政府案がそろそろ出てくる様子とニュースで伝えられている。
で、その中身があまりにもお粗末で恐ろしい事になっているので、なんでこんな事になってるのか混乱した気分になっている。
そもそも日本航空の経営問題とは、日本航空が抱えている債務を全部履行する事は困難な状態になったと言う事。
株式会社の債務には履行の優先順位というものがある。
もちろん、履行済みの債務はどうしようもない。すでに会社の財産ではないのだから手を出せない。
で、債務の履行の順位は
1.破産の費用
2.担保つきの債務と賃金などの労働債務
3.余ったら社債などの一般の債務
4.余ったら株主への清算配当金の支払い
みたいな順番なわけね。
経営陣を選出した責任のある「社員」(民法上の社員ね。株主の事)が一番順位が下になる。
でさぁ、伝えられてる中身をみると、頭痛くなる。
だって目玉になってるのが
- 履行済みの債務の引き戻し(過去の役員や幹部に支払済の報酬をとりかえす)
- 企業年金という名の「未払い労働債権」の大幅な放棄(親方に「オレが貯金しといてやるよ」と言われて会社に取りおかれた労働債権にすぎないでしょ。)
- 政府出資(既存株主の権利は希薄化するが温存される)
- 大幅な人員削減(事業が大事だから会社を再建させるのに、事業は大幅縮小)
- 破綻した場合に比べ非常に少額な一般債権の放棄
日航の再建につながる「経営に使える資本金を確保する事」よりも、どう見ても「株券や社債を持ってる人」の権利を優先してるようにしか見えないのね。
超法規的友愛は医療費の足しにはならないんだよな
私には難病の友人がいる。彼は尊敬できる人物だが、病気のため大変な苦労をしている。
今、政権交代による医療費助成の停止によって、彼の病院に対する負債が雪だるま式にふくれあがっている。このままいくと、彼も病院も共倒れなんだが。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009102600411
【3・「居場所と出番」のある社会、「支え合って生きていく日本」】
(人の笑顔がわが喜び)
先日、訪問させていただいたあるチョーク工場のお話を申し上げます。
創業者である社長は、昭和34年の秋に、近所の養護学校の先生から頼まれて2人の卒業生を仮採用しました。毎日昼食のベルが鳴っても仕事をやめない2人に、女性工員たちは「彼女たちは私たちの娘みたいなもの。私たちが面倒見るから就職させてやってください」と懇願したそうです。そして、次の年も、また次の年も、養護学校からの採用が続きました。
ある年、とある会でお寺のご住職が、その社長の隣に座られました。
社長はご住職に質問しました。
「文字も数も読めない子どもたちです。施設にいた方がきっと幸せなのに、なぜ満員電車に揺られながら毎日遅れもせずに来て、一生懸命働くのでしょう?」。
ご住職はこうおっしゃったそうです。
「ものやお金があれば幸せだと思いますか」。
続いて、「人間の究極の幸せは4つです。愛されること、褒められること、役に立つこと、必要とされること。働くことによって愛以外の3つの幸せが得られるのです」。
「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」、これは社長の実体験を踏まえた感想です。
このチョーク工場は、従業員のうち7割が「障害」という「試練」を与えられた、いわば「チャレンジド」の方々によって構成されていますが、粉の飛びにくい、いわゆるダストレスチョークでは、全国的に有名なリーディングカンパニーになっているそうです。障害を持った方たちも、あるいは高齢者も、難病の患者さんも、人間は、人に評価され、感謝され、必要とされてこそ幸せを感じるということを、この逸話は物語っているのではないでしょうか。
私が尊敬するアインシュタイン博士も、次のように述べています。
「人は他人のために存在する。何よりもまず、その人の笑顔や喜びがそのまま自分の幸せである人たちのために。そして、共感というきずなで結ばれている無数にいる見知らぬ人たちのために」。
二ヶ月の助成凍結で、このチョーク工場の人々を地獄に叩き込みつつある自覚はあるのか?
うーん、高度成長期に農村から都市に人口がうつった主役を農家の次男三男に求めるのはヘンだと思う。
えー性懲りもなく飯田先生の重箱の隅をつつくわけですけど、「脱貧困の経済学」は良書です。専門家が読む本じゃない本としてわかりやすいし、少なくとも意見として頭に入れておくべき問題点がたくさん頭出ししてある。そして、それはよく考えた結果になってる。
でまあそんな良書の重箱の隅をつつくわけで恐縮です.....
農業リソースを割り当てられなかった人々が農村から都市に出て行くのは、これ、定常的にあった/ある話で、だからこそ都市というのは出生数不足*1の時期が多くても現在まで続いている。
1950年代後半から高度成長期の農村から都市への移住はもうちっと急激な非定常的なバックグラウンドを仮定した方がいいと思います。
個人的には、1950年代後半以降に人口の社会減が非常に大きい地域をつらつらピックアップすると、1947-1949年に人口が急増(自然増以上に社会増で)してるところがほとんどだったりするなぁ、と思ってる。
なんで増えてるか、個人の日記とか回想録とか読むと、そういう地域の人々は、
- 都市に食糧がなくて血縁を頼って移住してきた。
- 満州から戻ってきたけど金は稼げても食糧に換えられず、日本でもう一度開拓農家になるしかなかった。
- 徴兵されたところが憲兵隊で、公職追放されて会社にも雇ってもらえず、開拓農家になるしかなかった。
とまあ、物理的に国内の食糧不足をメインに、さまざまな事情で突き動かされて流動した人口が多いわけです。
とりあえず、自家用の食糧が作れて、現金収入は僅かな余剰生産物を闇物資の流通とかでレバレッジかけて補う。闇物流だけで結構食べられた時代もあったらしい。
ところがどっこい、食糧が輸入できるようになったりすれば、農地を無理矢理拡張した彼らの土地は農業生産では勝ち目がないし、面積的に優位でもない。物流と市場が回復してきて旧来の農家も労働力が回復して生産性が上がり、余剰産物を都市部に持っていき、生産材を農村に持ってくる闇物流で安定した収入を得ることは難しい、となってきます。
例えば、清里のように、恒久的な農業エリアとしてきちんとまとまった面積が開発できて、観光も副収入になるとなればともかく、そうでなければ、切り開いた猫の額ほどの農地を守る第一世代が残るかどうか、退職後に後継者が戻るかどうかは別にして、跡継もまるごと流出しますよ、当然に。
でまあ、食糧難があれば開拓して食糧を作り、食が満たされれば都市に流動するという事がダイナミックに起きてたように私なんぞには見えるわけですが、それを次男三男が都市部へというベーシックな流れで語られてたのがちと残念。
もうちっと現代に近い話では、農業生産性が向上しちゃって老人世帯でも農業できちゃうようになって、そのうち長男戻ってくると思ってたら、50-55-60と定年延長になって爺婆の体がつらくなっても、長男が農業に慣れられる年齢を過ぎても戻ってこない。長男は長男で、早期退職の募集に応募でもしない限り、定年前にやめるなんて言い出したら、積み立てた年金も退職金も半分会社に持ってかれるから田舎に帰りたいともいえない、なんて事情も見えたりしますねぇ。
*1:相当成功しないと子供残せない