発注者の責任について

http://d.hatena.ne.jp/kumakuma1967/20080329#p2の補遺

最近の発注者としての公共の動向として、能力の低下は著しい。
バブル後半にダメになって来ていたものが小泉改革でさらにダメになった感じ。

小泉改革以降はトップダウンが流行で、結論を政治家が出して、その論理の補強を官僚が出すと言うやり方。
技術的な側面でも同じ。技術ってのはある意味冷酷で、間違った結論は出せなかったりする。当然技術屋は補強なんて出来ないわけで、政治家から見たら無能な抵抗勢力だ。だから、建設でもなんでも技術的な中身のない人ほど有能になる。*1
 有能な公務員=無能な発注者という図式が完成しつつある。

で、政治家の書いた「この場所に○○をいくらで建設する」ってファンタジーに沿って着ぐるみを着て踊るのが公務員や建設コンサルやゼネコンという事になる。
 ある公共の建設計画のアセスメントの結果(このような工事をこう行い、外部条件がこうだから問題なし)があまりに変(外部条件が圧倒的におかしくて、地図上の面積とアセスの面積がケタレベルで合わないとか)なので追っかけて行ったら、知事のファンタジーな頭脳にあわせて書き換えたからこうなったという以上の根拠はなかったなんて事も普通にある。

以前取り上げた東久留米のショッピングセンターの都市計画の外注で処分者が出てるようだけど、おそらく結論ありきで都市計画作れって言われてつじつまが合わせられなくて、図面も報告書も出来てないのに、無理な注文した自覚だけはあって金払っちゃったんだろうな。伊豆の道路の話と違って「市民生活上は」まっとうにやればいいだけのはずなのに。

日本の現実として、新幹線とか高速道路とか「発注に問題があった区間」では「設計未満の負荷で崩壊」してるわけで、放置すればどうなるかってのはよくわかってるはずなんだけど。

*1:たぶん学習指導要領でも法律でも