うーん、高度成長期に農村から都市に人口がうつった主役を農家の次男三男に求めるのはヘンだと思う。

 えー性懲りもなく飯田先生の重箱の隅をつつくわけですけど、「脱貧困の経済学」は良書です。専門家が読む本じゃない本としてわかりやすいし、少なくとも意見として頭に入れておくべき問題点がたくさん頭出ししてある。そして、それはよく考えた結果になってる。

 でまあそんな良書の重箱の隅をつつくわけで恐縮です.....

 農業リソースを割り当てられなかった人々が農村から都市に出て行くのは、これ、定常的にあった/ある話で、だからこそ都市というのは出生数不足*1の時期が多くても現在まで続いている。

 1950年代後半から高度成長期の農村から都市への移住はもうちっと急激な非定常的なバックグラウンドを仮定した方がいいと思います。

 個人的には、1950年代後半以降に人口の社会減が非常に大きい地域をつらつらピックアップすると、1947-1949年に人口が急増(自然増以上に社会増で)してるところがほとんどだったりするなぁ、と思ってる。

 なんで増えてるか、個人の日記とか回想録とか読むと、そういう地域の人々は、

  • 都市に食糧がなくて血縁を頼って移住してきた。
  • 満州から戻ってきたけど金は稼げても食糧に換えられず、日本でもう一度開拓農家になるしかなかった。
  • 徴兵されたところが憲兵隊で、公職追放されて会社にも雇ってもらえず、開拓農家になるしかなかった。

とまあ、物理的に国内の食糧不足をメインに、さまざまな事情で突き動かされて流動した人口が多いわけです。
 とりあえず、自家用の食糧が作れて、現金収入は僅かな余剰生産物を闇物資の流通とかでレバレッジかけて補う。闇物流だけで結構食べられた時代もあったらしい。

ところがどっこい、食糧が輸入できるようになったりすれば、農地を無理矢理拡張した彼らの土地は農業生産では勝ち目がないし、面積的に優位でもない。物流と市場が回復してきて旧来の農家も労働力が回復して生産性が上がり、余剰産物を都市部に持っていき、生産材を農村に持ってくる闇物流で安定した収入を得ることは難しい、となってきます。

例えば、清里のように、恒久的な農業エリアとしてきちんとまとまった面積が開発できて、観光も副収入になるとなればともかく、そうでなければ、切り開いた猫の額ほどの農地を守る第一世代が残るかどうか、退職後に後継者が戻るかどうかは別にして、跡継もまるごと流出しますよ、当然に。

 でまあ、食糧難があれば開拓して食糧を作り、食が満たされれば都市に流動するという事がダイナミックに起きてたように私なんぞには見えるわけですが、それを次男三男が都市部へというベーシックな流れで語られてたのがちと残念。

 もうちっと現代に近い話では、農業生産性が向上しちゃって老人世帯でも農業できちゃうようになって、そのうち長男戻ってくると思ってたら、50-55-60と定年延長になって爺婆の体がつらくなっても、長男が農業に慣れられる年齢を過ぎても戻ってこない。長男は長男で、早期退職の募集に応募でもしない限り、定年前にやめるなんて言い出したら、積み立てた年金も退職金も半分会社に持ってかれるから田舎に帰りたいともいえない、なんて事情も見えたりしますねぇ。

*1:相当成功しないと子供残せない