片岡剛士『日本の「失われた20年」デフレを超える経済政策に向けて』を読みました。

 
 この本は、多くの人が2月のうちにも読み終わって本書についてのなんだか高度な議論(と図表の多い書物の宿命である誤植退治)に突入していきました。
 私も本が出てすぐ書店に注文して入手したのですが、みなさまの議論をよそに、なかなかこの本に立ち向かう十分なまとまった時間がとれず、細切れにだらだらといきつもどりつ読んできました。*1
 遠距離の出張の度に持ち歩いていたので、カバーがだいぶくたびれました。

 読むのにとても時間がかかった理由の一つは、本書には公開されたデータがふんだんに用いられ、図表などの資料はかなりの部分、読者自らが確かめられるものだということ。
だれでも本書の著者の論じる所をデータにさかのぼって調べ、検証できる。
その事で議論の公正さがおおいに担保されているのは素晴らしい美点だとおもいます。

 ところが、同時に片岡氏のナビゲーションでこの20年の経済をタイムトラベルできる優秀なガイドブックにもなってしまっている。
 私のような集中力に欠ける輩は「ああ、こうなっていたなぁ」とか「あれ、どうだったっけ?」とかよそ見をし、本を横においてデータをしらべにより道しがちなのです。
 著者の意図する所を超えてこの本を利用して大変に楽しんでしまった、というわけですね。
 さらに、私の場合、「日本が『経済政策』を失った時はいつだろう」ということに興味を持っているのですが、この問題は、著者の想定した20年というレンジを若干超えて考える必要があると思ってます。具体的には30年を考える必要があるということなんですが、そういう場合にもこの本は大変に役に立ってしまうわけです。
 そういうわけで経済学については高校レベルの知識しかなくても大変に楽しめる一冊なのだろうと思います。
 
 著者がこの本によって主張する所は、経済政策とはこのようなプロセスで評価されるべき、というフレームワークの提示だと思います。
(追記)
 この本の実に優れている、そして重要な美点は、そのフレームワークの提示のために、「不思議なこと」を扱わず「確実に起こったこと」を記述し、技巧に深入りせず読者に「特別な才能」を求めず、また安易に特定の形での「現状打破」を求めず、「人知の及ばない領域」については脇へおいて議論を進行させていく非常にストイックなスタイルを堅持しているということかもしれません。まさに怪力乱神を語らずにフレームワークを浮かび上がらせる手法は見事です。長期的パースペクティブによりそれが可能になるという優れた先見あっての労作なのだろうと推察しております。

(追記終わり)
 そのさらに背景にある著者の信念*2それがとても確固たるものである事が部分部分の主張とその根拠を頑健に支えているのだと思いました。

 とりあえず読み終えて、思い出したのがドイツ連邦共和国大統領ヴァイツゼッガーのヨーロッパ終戦40周年の記念演説「荒れ野の40年*3」の言葉でした。

 問題は過去を克服する事ではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となります。
岩波現代文庫 永井清彦編訳「言葉の力」より)


 著者の主張全体については異論*4をはさむほどの実力は備えていないので、分相応に肯定も否定もしません。しかし、著者の主張に同意する人でもしない人でも、素人でも専門家でも、過去に目を閉ざしたくない人々にとって、この本は助けになる一冊だと思います。

参考情報:

  • 書名
    • 日本の「失われた20年」―デフレを超える経済政策に向けて
  • 著者
    • 片岡剛士(かたおか・ごうし)
  • 発行所
  • 価格
    • 4600円(消費税含まず)
  • ISBN978-4-89434-729-8

*1:え、もう5月も終わるよ。

*2:たとえばそれは「経済政策の妥当性は必ず歴史によって検証できるし、検証されるべきだ」といったものだと想像しますが

*3:Der 8. Mai 1945 - vierzig Jahre danach

*4:些末な所で気になったのは、1)アラブの産油国はドルペッグだから原油価格は必ずアメリカの国債金利を上げ下げして、金融政策を縛るはず、2)ソニーとかトヨタとか米国会計基準/ニューヨーク上場企業の影響力が強い日経225って「日本の景気」とか「日本企業」の評価に使えるんだろうか、というあたり。議論する前に調べないと質問にすらならないっすね。