人生と選択

いつの間にか、夕食後の台所を片付けているのは私で、洗濯するのはニョウボという生活が定着している。この時には食器洗浄機と、全自動洗濯乾燥機が用いられる。ただ、ニョウボは乾燥機をかけても良いものと、そうじゃないものを分けずに洗い、洗濯が終わると一部を室内干しに干し、一部を乾燥機で乾燥させる。僕だったら寝る前には乾燥機にかかるものだけを洗濯機に入れ、朝乾燥が終わるようにでも予約して、少量の乾燥できないもんは翌日の夕食どきに洗濯かけとくと思うけど、ニョウボはそうしない。どうも「宵越しの洗濯物」が心の負担になるらしい。
 台所の方は、食器洗浄機が働いている間に残りの洗いものを済ましてしまえるので、機械の仕事を待つ必要はない。
 洗濯の仕事が残っているので、それはそれで手伝う事になる。私は早く寝たいのだけどなぁ。
 こういうのって、お互いの間の公平感とか、義務感で役割分担を選択しているんじゃなくて、お互いに余分なエネルギーを使わないで済むところで安定している気がする。
 片方が仕事を持ってない人って、どうなんだろ。共働きでない時期をほとんど体験してないのでわかんない。きっと選択ってのはそういう事を決める事なんだろうな。
 運転で疲れてよくわかんない文章でごめん。
でも、相手の言う通りにすることや、自分の意見が通る事の他に、なんとなく幸福と安定があるという事もあるんだと思うんだよなぁ。