このブログについて
- 何のためのブログか
ここは、私が生きていて見たり聞いたりした事で湧いて来た雑念の置き場です。そういうものを吐き出しておくためにあります。そうしないと、頭の中で雑念がうずまいてしまうので、雑念をここに書いているのです。穴を掘って「王様の耳はロバの耳」と叫ぶのもいいのかもしれませんが、それはあまりうまくいっていませんし、人が私に声をかけてくれるきっかけになったりしませんので。
- 誰が書いているのか
私が、私の地位や名義で自信を持って発言すべき事は原則としてここには書きません。それは仕事としてやるべき事で、雑念の類ではないからです。ですから、ここを読む時には気にしないで下さい。私が誰かって事を知っている方は、どうかご内密に。ここには正式に私の仕事になったことがらについては一切書きません。
- 情報の正確性はどうなの?
どうなんでしょうねぇ。保証はできません。ここは世間知レベルかそれ以下と考えて下さい。なるべく考えた根拠へのリンクを貼って、読んだ方の判断に任せられるように努力はしてみます。
- 無責任じゃないの?
無責任でいられたら楽だと思います。しかし、無責任を許すか許さないかは本質的には私の問題ではないような気がします。問題点をみかけたらコメント欄に指摘を下さい。
- 望ましいアクセス数
数百人を越えるアクセスをいただくと、正直当惑します。一日200アクセスくらいに落ちついてくれないかなぁ、と願っています。
- 私は「リフレ派」ではありません
「リフレ派」を名乗るほど経済がわからないからです。素人なりに納得がいく意見があれば支持しますし、納得がいかなければ支持しません。多数の苦痛や困難を目的としたり、極めて短期間で崩壊する事が明白な政策には反対します。
- 現在見直し中です
ブログとして、どうやっていくか、考えているところです。公開は再開します。
- コメント及びトラックバックについて
都合により、コメントの書き込み、トラックバックの表示を承認制にしました。結果的に、私にとって都合のいいものだけ表示する事になります。
頻繁な作業はしませんので、表示までは時間がかかります。
飯舘村の空気を読むのに必要な基礎知識
- 空気が運んだ物質が降下物となる条件
- 海陸風、山谷風について
- 日照によって陸域の表面温度は急激に上昇し、空気を暖めますが、海域の表面温度は上がりません。この温度差で地表面に沿って空気の流れができるのが海風です。夜間は放射冷却が陸域の表面温度を急速に下げ、逆の動きになります。
- 地形的に複雑な場所では斜面に沿って風が動こうとする結果、谷沿いに大きく空気が動きます。例えば、稜線に囲まれた領域は日中強く空気を吸い上げますが、そこにつながる谷で風速が上がります。谷奥がじょうご、V字谷がそれに繋がったホースのように考えるとわかりやすいかもしれません。上昇気流は谷風に対してゆっくり動きます。
- 水蒸気の凝集について
- 上昇気流は、断熱膨張で温度が下がり、水蒸気が凝集される事で可視化される事があります。
- 水蒸気に関する条件が大きく違うので、3月と4月で水蒸気の凝集が同じ条件で起きたかどうかはわかりません。
- ミストの存在は、空気の動き方を可視化してくれるものとして見るのがいいかもしれません。
- しかし、海からの風が谷沿いに入り込む条件の元で、飯舘村において「空気の流速の低下」「断熱膨張による空気の温度の低下」が起きていたであろうと考えられます。
やや弱い雨が降り、海から風が吹くとき、飯舘村はどんな天気なのか?空気読んできた。
福島の方に行ってきたので、飯舘村の天気などを記録してみた。
走行日は4月22日、風や雨の様子では3月15日に近い状況だったのではないかと思う。
わかる人にわかればいい資料的な扱いのエントリ(SPEEDIのような大気の移動シミュレーションを見る際に傍らにどんな事象があるのかの参考にするためのエントリ)です。
3月15日の福島の天気
http://tenki.jp/past/detail/pref-10.html?year=2011&month=3&day=15&selected_image=amedas
4月22日の福島の天気
http://tenki.jp/past/detail/pref-10.html?year=2011&month=4&day=22&selected_image=amedas
- 太平洋岸から内陸に向かうルート
kmlファイル http://f.hatena.ne.jp/kumakuma1967/20110422/fotolist.kml
- 海沿いは時折時雨のような雨がぱらつく。路面はぬれている。地表の風は海から内陸に向けて吹いているが、雲は内陸から海に向かっている。
- 内陸に向かうにつれ 雨は弱くなり、谷部に上昇気流がミストを形成するのが見える。地表の風は海から内陸に向かうが、弱い。上の雲は西から運ばれてきたが、下のミストは海から吹いてきた風が作る。
- 飯舘村に向かう稜線に近づくとほとんどミストの中。
- 飯舘村は無風。ミストの中か、ミストが低くたれこめている。こぬか雨の状態。
- 飯舘村を抜けると、雲は高くなり、降雨もなく道は乾いている。
こういう感じでした。
地表近くの海風は谷沿いに集中して内陸に向かい、谷の奥でゆっくりとした上昇気流になりつつミストを形成したのだな、と思います。
片岡剛士『日本の「失われた20年」デフレを超える経済政策に向けて』を読みました。
この本は、多くの人が2月のうちにも読み終わって本書についてのなんだか高度な議論(と図表の多い書物の宿命である誤植退治)に突入していきました。
私も本が出てすぐ書店に注文して入手したのですが、みなさまの議論をよそに、なかなかこの本に立ち向かう十分なまとまった時間がとれず、細切れにだらだらといきつもどりつ読んできました。*1
遠距離の出張の度に持ち歩いていたので、カバーがだいぶくたびれました。
読むのにとても時間がかかった理由の一つは、本書には公開されたデータがふんだんに用いられ、図表などの資料はかなりの部分、読者自らが確かめられるものだということ。
だれでも本書の著者の論じる所をデータにさかのぼって調べ、検証できる。
その事で議論の公正さがおおいに担保されているのは素晴らしい美点だとおもいます。
ところが、同時に片岡氏のナビゲーションでこの20年の経済をタイムトラベルできる優秀なガイドブックにもなってしまっている。
私のような集中力に欠ける輩は「ああ、こうなっていたなぁ」とか「あれ、どうだったっけ?」とかよそ見をし、本を横においてデータをしらべにより道しがちなのです。
著者の意図する所を超えてこの本を利用して大変に楽しんでしまった、というわけですね。
さらに、私の場合、「日本が『経済政策』を失った時はいつだろう」ということに興味を持っているのですが、この問題は、著者の想定した20年というレンジを若干超えて考える必要があると思ってます。具体的には30年を考える必要があるということなんですが、そういう場合にもこの本は大変に役に立ってしまうわけです。
そういうわけで経済学については高校レベルの知識しかなくても大変に楽しめる一冊なのだろうと思います。
著者がこの本によって主張する所は、経済政策とはこのようなプロセスで評価されるべき、というフレームワークの提示だと思います。
(追記)
この本の実に優れている、そして重要な美点は、そのフレームワークの提示のために、「不思議なこと」を扱わず「確実に起こったこと」を記述し、技巧に深入りせず読者に「特別な才能」を求めず、また安易に特定の形での「現状打破」を求めず、「人知の及ばない領域」については脇へおいて議論を進行させていく非常にストイックなスタイルを堅持しているということかもしれません。まさに怪力乱神を語らずにフレームワークを浮かび上がらせる手法は見事です。長期的パースペクティブによりそれが可能になるという優れた先見あっての労作なのだろうと推察しております。
(追記終わり)
そのさらに背景にある著者の信念*2それがとても確固たるものである事が部分部分の主張とその根拠を頑健に支えているのだと思いました。
とりあえず読み終えて、思い出したのがドイツ連邦共和国大統領ヴァイツゼッガーのヨーロッパ終戦40周年の記念演説「荒れ野の40年*3」の言葉でした。
問題は過去を克服する事ではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となります。
(岩波現代文庫 永井清彦編訳「言葉の力」より)
著者の主張全体については異論*4をはさむほどの実力は備えていないので、分相応に肯定も否定もしません。しかし、著者の主張に同意する人でもしない人でも、素人でも専門家でも、過去に目を閉ざしたくない人々にとって、この本は助けになる一冊だと思います。
参考情報:
- 書名
- 日本の「失われた20年」―デフレを超える経済政策に向けて
- 著者
- 片岡剛士(かたおか・ごうし)
- 発行所
- 価格
- 4600円(消費税含まず)
- ISBN978-4-89434-729-8
岡田靖内閣府経済社会研究所主任研究官を悼む
突然の訃報がtwitterから飛び込んできた。
昨晩、岡田靖内閣府経済社会研究所主任研究官が亡くなったとのこと。
私自身は、経済学の学徒ではなく、氏との交流が長くあったわけではない。
しかし、私が参考にしている経済学分野の多くの諸賢が岡田氏と議論した経験を持っているという方であった。
ロイターに掲載された岡田氏の一連の分析はとても客観的で、頼りになるエコノミストでもあった。
氏は、私のような者の駄文にも目を通されていて、それなりに面白がってご覧になられたようで、ご意見を頂戴した事がある。(もちろん、議論などという高度なものは、そこには存在し得ない)
ごくごく限られた対話からでも、氏の知的な鋭敏さは伝わってきた。
見通しのきかない深い薮の中を歩くと、人は自分の位置を見失う。
岡田氏が経済について語る言葉は、まるで薮の中にあって走りながら自分の位置と方向を見失わぬ人のもののようであった。
ただの人として、このような偉大な知性がいまここから失われた事を心より悲しんでいる。
岡田靖氏の精力的な活動が氏の生前の望みの実現となって実を結ぶ事を祈りつつ、ご冥福をお祈りいたします。
仕分けとか、埋蔵金とか小さ過ぎて笑っちゃうよね
財務省がどうしても国の連結会計の連結対象にしない株式会社が一つある。
その会社の資本金は一億円。従業員数は5000人弱。
国は資本金の45%については株式市場に上場している。
しかし、この株は普通株式でない劣後株で、額面の5%の配当請求権と額面までの財産請求権しかない。議決権すらない。
国はこの会社の支配権を完全に掌握して、現在価値ー4500万の資産も保有するプラチナ株を保有していることになる。
ところが、この会社の役員を指名、承認するなど、支配関係があることも、過半の株式も保有している事も明らかにも関わらず、財務省はこの会社を連結対象にしようとはしない。
あまつさえ、国が持っている株式を、まるで劣後株を持っているかのように計算し、市中株価×株数の55%で計算して帳簿にのせている。 民間ならあり得ない計算。
9月中間決算での会社の総資産は
116,324,829,691,018円。
えーとケタ多過ぎて読めねえ。
百十六兆三千二百四十八億二千九百六十九万千十八円
純資産(負債を差し引いた内部に留保された利益+資本金)は
2,647,913,786,295円
二兆六千四百七十九億一千三百七十八万六千二百九十五円
実は国の命令でこの会社は毎年利益の5%を積立金として積み立てており、潤沢な内部留保を蓄えている。
普通の会計なら
2,647,913,786,295円ー450,000(国の保有しない株数)×58,000円(株価)
= 2,621,813,786,295
まあ2.6兆円ほどの資産として計上しなきゃいけないわけだ。
とりあえず帳簿だけで2.6兆円の資産が隠れてる事がだいたいわかった。
今までと同じ事業をやらせるのなら、資本金一兆円くらいで受け皿会社を新たに設立し、この会社を解散、従業員と資産をそのまま移す。既存劣後株主には1:1で証券を交換するとする。
そうすると、株の55%は手元に残して、額面4499億円分の劣後株を売り出す事になるけど、例によって劣後株でほとんど配当請求権の価格で取引される事になるので、以前の株価と同程度の値段(58,000円)で売れる事が期待できて、売り出して手に入る現金は2.6兆円くらいになる。
はい、2.6兆円の財源の出来上がりですね。
でもこれじゃーちょっとつまらない。
その会社の資産には結構な金額、42兆円くらいの国債がある。
このうち額面3兆円分、評価額2.6兆円を出資国債に換えてしまって、現物出資して増資する。
新たに売り出せる劣後株の売り出し価格は
2.6兆円×0.45×5.8≒6.8兆円
このくらいはやりたいもんだ。
実は政府紙幣の発行というのは難しい事じゃなくて、既存の仕組みをつかってやる方法を思いつきさえすればいいのだと思う。
しかし、会社の約款にあたるものを法律にしちゃうってのは大変だね。民間会社は株主総会の度に約款をこまめに直すのだけど、国会ってそれをちゃんとやるように思えないもんなぁ。