朝日新聞記事:「三丁目」は美しかった? 50年前の東京 が見落とした事

 良い記事だ。事実にもとづかない純朴なノスタルジーは危険でもある。
http://www.asahi.com/life/update/1121/TKY200711210400.html

映画「ALWAYS続・三丁目の夕日」がヒット中だ。1959(昭和34)年の東京が舞台で、コンピューター・グラフィックスを多用して当時の澄んだ風景を「再現」したという。だが、あのころは公害が社会問題化し始めていたはずだ。東京の空はどれほど青かったのか。大事な場面で登場する「日本橋」の下を流れる川は澄んでいたのか。

公害はあったろうが、社会問題化していたかどうか.....社会がきちんと公害という事実をうけとめるのは1970年頃のはずだ。
1960年頃の東京都心からの夕日がきれいだったかどうか、と考えるとやはり汚いだろうな、とは思う。
しかし、ちょっと情報が足りない気がする。

港区の当時の条件を考える。

  1. 新宿など東京の西側地域への伸展はまだ加速していない。副都心事業で西新宿の淀橋浄水場が移転するのが1965年である。したがって汚染源は皇居の南東側に集中していた可能性が高い。
  2. 夕日が見える西側は卓越風向の風上であり、汚染のひどい地域に新鮮な空気の入る方向である。これに対して南東から入ると考えられる海風の支配する領域は汚染がひどかったと考えられ、海風が吹く日中は卓越風と海風の境界である海風前線において最も濃い汚染が滞留した可能性が高い。しかし、海風のやむ夕方からは新鮮な空気が西から入り込む時間帯である。

上記の条件から、当時の港区では「大気汚染がひどかったにもかかわらず、夕日は奇麗に見えた」可能性もある。

港区と夕日の間には吉祥寺と富士山が存在する。吉祥寺から東京タワーと富士山が見えた日数を1963年から連続観測している私立の気象台がある。
http://www.seikei.ac.jp/obs/pwork/fuji_j.htm

観測結果
 富士山の見えた回数は,観測開始後10年の平均は43日で,1965年には22日まで低下したが,1973年のオイルショックを期に急増し,以降年70 日前後で推移している.ちなみに,最もよく見えたのは,1984年で年間90日であった.秩父連峰の見えた回数についてもほぼ同様の傾向を示すが, 1980年頃を境に年 100日前後まで増加している点が注目される.
東京タワーの見えた回数は,観測開始後10年の平均は69日で,1969年には年29日まで低下し,距離にして3〜4倍くらい遠い富士山や秩父連峰よりも見えにくくなった.しかし,1972年頃を境に増加傾向に転じて年 100日を越え,漸増して1993年には 159日に達した.

ということで、東京の南西への進展、バックグラウンドの大気の透明度の悪化などにより港区ではおそらく1970年くらいまで悪化を続けたのではないかと推察される。また、港区から見た場合東京の西への伸展によって1960年頃の夕日は復活しなかったかもしれない。

東京の気象条件と歴史的経緯をあわせて考えると、「あのころの夕日はきれいだった。」という意識はあってもいいのではないだろうか。