六本木ヒルズの話題が多かったのでちょっと考えてみた

なぜ扉に人が挟まれて死ぬような事態が発生したかについて、ちょっと考えたのだが、亡くなった方の特性を考えると、そのような特性の人は別に他の場所でも頻繁に死の危険にさらされているような気がするので、安全基準や大家や建築家の責任はあるにしても、そこばかり責めていてもしょうがない気がする。
 電車に乗る時に「黄色い線の内側にお入りください」とアナウンスされても黄色い線の内側が(建造物等に塞がれて)なかったりするのが当たり前の世の中に我々は生きているのだ。自動ドアが危険だったところで何の不思議があるのだろうか?
 むしろ、なにやら「健常な大人」という特性を社会すべての場所において想定している事そのものが問題なのだ。
 事故に遭いやすい特性を障碍と言う事もできるだろう。実は私も昔はそのような特性を持つ一人であった。これを読む人が何歳だろうと、そういう特性を持っていた時期はあったはずである。言い換えれば、人間はかならず障碍者として生まれる。
世の中の空間を「健常な大人」とやら向けに作った時点で、それは反人間的な行為と私には思える。だからノーマリゼーションは徹底して社会の隅々まで行われるべきなのだ。
 膨大な費用がかかる、との意見はあるだろうが、現実への対処は実際に人力を用いて行われている。建築のノーマリゼーションはフィジカルな条件で実現できないところに人力を集中させる余力を生む事ができるだけの事である。余力をなくしてしまうと、対応できない事は多い。今日の日本の状態は、むしろ人力を用いなければならない場面が増大しているにもかかわらず、十分な人力がない、と私は読んでいる。

追記:
いろいろ便利な切符に「子供用はありません」の但し書きがついているのがすごく嫌だなぁ。