大学院進学は自殺行為か?

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041202#1101973189
に多少反応してしまった。
 今大学院に入ろうとする世代と、15年ほど前に大学院に入ろうとしていた世代の環境の差は感じる。
 当時も大学院出ても仕事がないのは当たり前だった。大学院に受け入れられる人数が極端に増えたが。ただ、当時は研究や教育に従事する際に「博士号」を要求される事は少なかった。博士号はむしろ入り口ではなくて、出口か途中だった。また、大学院生、特に博士課程の学生は「一人前の研究者」として扱われていた。現在では「ただ働きでない職を得る最低の資格」のようだけど。
 当時の大学院では、進学の際に研究能力を問われるだけでなく、研究職の職を得る機会が不可能と思われる者に対して進学を勧めることはなかったし、研究職に内定できる者も内定を優先させ、研究職に就くための退学は推奨された。例えば私の知っているある大学のある研究科では、「国家公務員I種試験に合格している事」が事実上の大学院受験資格だったそうである(そのぐらいの就職力がなければ大学院はやめとけ)。
 大学院を出て就職しても、大学卒の人以上の生涯収入を上回るのは無理とはっきり言ってくれたしなぁ。(アメリカの猿真似と言われるゆえんで、日本の研究者は能力や学位で給与が増える事はあまりない。そして学位インフレの今はその傾向に拍車がかかっている。)今みたいに猫もしゃくしも大学院とか、教員が全員大学院に所属するなんて事はなかったし。

 研究費のいらない(頭を使う)研究をする限りにおいては、大学院ほど恵まれた場所はない。20台真ん中の明晰な頭脳に加え、大学の図書館を使え、教員に質問できる、「一生に一つの大きな研究」をなしたい人には最高の条件が揃う。それは日本の貧弱な職場では決して得られない環境だと思う。
 満足できるほどの値で売れない能力があるのなら、売り渡さないで磨くのも一つの考え方なんじゃないかと思う。
#ただし、教官の研究の手伝いを強制されるような研究室は使えないけどね。

結論:
自殺より出家に似てますね