富士山頂は誰のものか

町村先生のブログで見てびっくりした。
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2004/12/news_6.html
現在国が管理している富士山山頂付近が富士山浅間大社の私有地となるということである。
しかし、町村先生の紹介しているニュースの内容にはちょっとそのままではうなずけない。

そもそも、社寺地は、政教一致政策のために国有化したのだろうか?
残念ながら、どのような法源によって接収したかを示した資料は見つからなかったが、都市における社寺地接収を定めた太政官布達第16号は
「三府ヲ始、人民輻輳ノ地ニシテ、古来ノ勝区名人ノ旧跡地等是迄群集遊覧ノ場所東京ニ於テハ金龍山浅草寺、東叡山寛永寺境内ノ類、京都ニ於テハ八坂社、清水ノ境内、嵐山ノ類、総テ社寺境内除地域ハ公有地ノ類、従前高外除地ニ属セル分ハ永ク万人偕楽ノ地トシ、公園ト可被相定ニ付、府県ニ於テ右所ヲ択ヒ、其景況巨細取調、図面相添ヘ大蔵省ヘ可伺出来」と定めていて、当時の社寺地接収等の根拠を宗教と国家の一体化と見いだすのは難しい。

昭和21年、確かに占領下で社寺地の返還が行われているが、富士山山頂付近が返還されるなら上野公園も寛永寺に、芝公園増上寺に返還されるべきであろうし、浅草公園敷地が民有地化された後の状況も不自然という気がする。むしろ拙速に政教分離を急いだGHQの影響が垣間見える気がする。

そして、気になるのは山梨県側の感情である。富士山の北斜面は主に山梨側の登山口の北口本宮浅間神社をはじめとする各浅間神社が管理してきたものであり、また、山頂付近は共同管理であったという主張があるからこそ、県境が未確定であるのである。山梨県ではかつて「山頂私有地化反対」の県民運動すらあったようである。

よくよく考えると、徳川家康による安堵というのも「政教一致」だからこそではないか。
国有地であることが浅間大社の宗教行事を妨げる事はないであろうし、むしろ、私有地となることで浅間大社が山梨側の宗教行事を規制しうる立場に立つことの方が、過去の国家による神社の組織化・序列化と同様に問題が大きいのではないだろうか。

太政官布達第16号は廃止されていないことだし、シーズンには人民が輻輳するんだから再接収してしまえ」というのは暴論ですが(笑)。

追記:
上記の太政官布告は社寺境内の接収に関するものです。わかりにくくてごめんなさい。
町村先生が社寺領上知令による接収と解説してくださいました。
上のアンカーか下のトラックバックからリンクをたどって確認くださるとありがたいです。
#ということは、接収時はやはり境内ではない?
判例を読まないと駄目ですね。ごめんなさい>町村先生