橋がころげたらおかしいの?

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080609/p6
トラックバックを頂いたようなので、それについても考えてはみたがどうもまとまらない。そのまま載せちゃえ。

 トラバ先からリンクされた先の先に比較的地に足がついた人が

武蔵野線が水没した時は物流が...

なんて書いてんのが出てたんだが、武蔵野線は「水没」してればまだ被害は少なかった。構造物が水に浮いて基礎から切り離されたから被害甚大だったんだよ。

 世間知や床屋政談というものは、そのくらい地べたから浮いた議論をしているって事くらいは自覚してものを言って欲しいなぁ、と、ちと思った。

 世間知のブログであるここについてもその程度の話をしていると思ってもらって結構。その自覚はあるから。





 ある種の政策について話し合う、学者さんと企業経営者と行政マンとNPOがいる会議を見ていた。

 会議の終わり近くに、ある企業経営者は会議をはじめる前提となっている話を総括して冗長化しただけの長い長い口上のあと「学者の机上の空論なんかいらない」と机をたたいて強く主張していた。

 黙って聞いている限り、行政マンは黙ってるし、企業経営者やNPOは「こんなこといいな、できたらいいな」しか言ってなかったし、現実を見て地に足がついた意味のある話をして、「これはできる?」「じゃ、こうすればこのくらい実現できるかな」と一歩一歩着実に議論を進めていたのは学者さんだけだったので、正直驚いた。が、場の雰囲気は経営者側に流れた。流されないためには自分が地に足をつけるしかない。

 もちろん、机上の空論とか荒唐無稽な仮説というのは学問の楽しみの一つではあって、その意味では渋滞学とか、混雑論とかはそれなりの意味を持っていると思う。





 都市計画なんてのはそういう空の上の話では全然ない。現状を精査し、とりうる方向性を検討し、今ある問題を列挙して、10年以内に実現可能な解決手段のセットを決める。それだけの事だ。
 当然全ての問題が解決したりはしない。事業費だけ計算してメンテナンスとモニタリングはびた一文出してくれない民主主義社会だから間違いだらけ。無駄だってある。未来は原則として予測不能だし、社会はミスや悪意を内包している。だけど計画しないより計画したほうがましだから計画する。理想や理念を掲げつつそれを地べたに引きずり下ろすために計画する。

 シューハート(デミング)サイクルは最近流行のライフハックによく出てくる。
都市計画ってのは社会基盤についてのシューハートサイクルを中期的*1に共有しましょう、という事であって、それ以上でもそれ以下でもない。





 東京の計画環状八号線が開通しました。
計画したのいつ?
実現しようとしたのは何?

だらだらだらだら考えもせずに事業計画を引き継いで金を投入しまくって、交通システムも都市の広がりも全く変わってから開通して、当初の目的なんぞまったく実現しないで別の用途に流用してますね。
「都市計画的に」評価したら「クマしか通らない道路」と大差ないんじゃないですか?





 じゃ、都市だろうと田舎だろうと、冒頭紹介の会議みたいに「できたらいいな」なんて話で時間と経費を浪費して、どうせプラスマイナス100%程度の予測可能性しかないって事ですが、それでもやらなきゃならん事はあるし、やっぱり必要な道路建設はやんなきゃならんと合意しとかなきゃいかんのじゃないですか?





 情報を付加するのは非常にコストが安い。シニフィアンーシニフェの関係を塗り替えることで都市の脳内イメージや経済的価値を変更できる。情報の競争。ある人が学者なら「机上の空論」というレッテル一つでその人の主張は地に足がついてない、自分の方が現実的な議論をしていると印象づける事は簡単。

 たとえば、関西では根拠の乏しい「地震はない」という付加価値を土地につける事に成功していた。50年もしたらまたそういう事になって、1000年くらいは神話が続くかもしれないけどね。
 隣り合った店舗でも神泉と松濤じゃ賃料が目の玉飛び出るほど違うわけだけど、道を歩いている人はどこまで松濤かなんて知らないから客の入りはかわんない。住居表示をちっといじれば固定資産税が入って自治体ウホウホ。
 ビバ高密度化!と言えば超高層がたつかもしれない。けど、それが勤労者の時間的余裕につながる保証はない。経路の水平的距離、垂直的距離、ボトルネックなどのフィジカルな問題を上手に解決しない限り。
 農薬工場の跡地にマンション建てて、土壌汚染の噂が出ててもタレント使って広告すれば高値で売れる。でも広告は水銀蒸気を薄めたりはしない。

 明らかに経済的効果があるんだから、情報面での競争は極めて重要だけれど、世界のフィジカルな面をコントロールしていく事もまた重要さを失っていないんだよ。
 だから情報にすぎない天上の議論を地べたに引きずり下ろして、あるものは地面に植えて、あるものは踏みつけ*2にする。
 そうやって流されない程度に地に足をつけて、フィジカルとイメージのバランスをとっていく。よく計画するってその程度の事なのかもしれない。

おまけだけど、見えてる部分がこんな間抜けな話になってるのに、実際に橋がころげない裏には見えない所で膨大な努力があるって事、忘れると宙に浮いちゃうよ。

*1:10年サイクル

*2:十年早い理念ははびこらないように踏んでよし。でも殺してはいけない。春が来たら植えるんだから。