財布を一日に二度拾う

肘の経過観察に病院に行った。
最近の病院は電車の駅に近い便利な場所にはない。正直車で行った方が便利だが、駅からバスに乗っても行ける。
道路交通法は病気や怪我、薬の影響下の人が運転することを禁じている*1ので、治療内容未定で受診する患者としては病院に行くのに車を運転していくのは抵抗があるし、タクシーで行く程金持でもない。病院に通う人はある程度は車の運転を選ばないのでバスを選択する事になる。
 大きな病院があるから、運行されるバスの本数が保持されていて、新たな開業医の密度が大病院へのバス系統沿いでは高い気がする。*2
 そういうわけで大病院だけは、駅からバスに乗ってもさほど不便ではないと思ってバスを選んだ。

電車を降りて、バスを待ちながら、あれこれ考えた。
 私が駅からの徒歩圏に住んでいるからバスを選べるのであって、自宅→電車→バス→病院で済んでるからバスを選ぶかもしれない。これが駅からバス圏だったら、自宅→バス→電車→バス→病院で、料金的にも3割以上高くなり、たとえ本数の多い路線でも待ち時間のロスが30分以上になる。そうすると、運転の適性がない状態で病院に車を運転する人は当然ながらいるわけで、なんだか危険な感じがする。
 ある程度大きな病院が駅ごとにあるような恵まれた状況ではない以上、大病院は駅から徒歩10分圏内にあってほしいし、それが可能な程度に医療費というのは高くなくてはならないと思った。

 バスに乗って、どうせ終点まで乗るので乗降にはやや不便な一番前の高い席に座り、ノーベル賞受賞に刺激されて買い直した南部先生のブルーバックスクォーク」を読みながら、頭の中では社会は個人という量子がインセンティブという場の中で運動してるようなものか、などと思う。

おそらく不景気の影響で、有料道路を使わなくなったせいだろう、道路がひどく混雑していて、沢山の車が走行区分違反をしていて*3バスはなかなか進まない。本はどんどん進む。

 経済を物理に例えれば、通貨は光子のようなゲージ粒子か。
そして通貨供給量は宇宙の温度だったりして.....*4
 量子には個人という素粒子もあるだろうけど、世帯という複合的な粒子もあって、世帯はハドロンのように崩壊したりする.....
 裸の素粒子として運動する独り者と家族持ちではボソンとフェルミオンのように従う統計が違ったりしたら、今日の非婚社会だと経済全体の動きが過去と合わないかもしれない....

などなどと夢想しているとバスが病院についた。

 続きを読みたい衝動を振り切って、本をしまったら、じいさんがバスカードを入れた財布をポケットにしまい損ねて落とすのが見えた。
「財布落としましたよ!」
声をかけたけど、じいさん気がつかない。
事情を察したらしい運転手に「追いかけてすぐ戻るから」とバスカードを渡してバスを降りて、20mほどじいさんを追いかけて、「財布落としましたよ」、と声をかけたらキツネにつままれたような表情でポケットを探り、「あぁ」みたいな声を出しながら財布を受け取ってくれた。

 バスに戻ったら運転手がバスカードを渡しながら「ありがとうございました」と言ってくれた。
落とした当人からは聞けなかったけど、「ありがとう」は一回聞ければ十分か。

 経過は良くも悪くもなく、処方を受けて薬を貰って家路につく。3割負担だけれど、医師という知識とノウハウのかたまりみたいな専門家のコンサルトと現代科学技術の結晶である薬を合わせたにしては随分と安いと思う。自動車工場でねじを16本買って交換してもらうと、5000円くらいする。その3割でも1500円。それより安いんだから。特に、あれだけ懇切丁寧なコンサルトでも慢性的な後遺症の再診なんかとても単価が安くて採算が取れそうもない。そもそも自己負担額は往復の交通費より安いじゃないか。こんなんじゃ駅前に病院を建てるなんて無理だな、と思う。

 じゃあどうすればいい?
 現在医療費控除の形で高額納税者ほど医療負担が軽い*5制度を変えて、所得と負担力の低い層に振り向ければ、もう少し医療費が上げられるんじゃないかな、などと考えながらバスに乗る。

 またしても一番前の席で本を読みながらバスで駅に向かう。
 バスレーン規制は終わっていたが、レーンはとてもすいていて、速い。
 同じように本を読み続けたい衝動と戦いながら降りようとすると、今度はちょっと太った兄さんが定期入れを取り出す時にポケットの中でひっかかった財布が、ぽとりと落ちるのが見えた。

 先ほど一回やっているので、判断が早かった。バスカードを運転士に預けて「財布落としましたよ!」と叫びながら追いかけて6mで追いついた。iPodをいじくっていた兄さんはふりむいて財布を確認し、受け取りざまにものすごいでかい声で「ありがとうございます!」と叫んだ。

苦笑しながらバスに戻ると運転手は苦笑いをしていたけれど「ありがとうございました」はなかった。

なんかの保存則なんだろうか。

それにしても、財布を拾う経験と言うのは、これまでそう何度もない。
一日に二度というのは希有な体験と言えるのかも知れない。

*1:道路交通法第六十六条

*2:大企業はバス路線を維持しない。なぜなら従業員の通勤に必要なだけ送迎バスを運行する経費を負担する方が、路線バスの運賃を負担するより安いから。病院などでバスの本数が維持されて利便性が送迎バスによるものよりはるかに高い場合だけバスを利用させる事がある、程度。

*3:バスレーン指定時間

*4:そして金融ビッグバンの後急速に冷えて、宇宙の既存の構造が破壊されてるのねw

*5:最高税率60%の場合、税金の戻る効果を入れれば、自己負担は12%。医療費控除を使わない低所得者では30%