官僚

官僚について、よそで刺激を受けてコメントをつけた事がある。自分の日記でも整理してみよう。
ビューロクラシーを官僚制と訳すのは好きではない。
ビューローは日本語で事務局。たとえば映画の制作で○○製作委員会なんてのがあったとしたら、そこのお金の経理等を委員会から委託されて、処理するのが○○製作委員会事務局だったりする。官僚に限らず、事務局はありふれている。株式会社ならば、会社の所有者は株主で、取締役会が経営を委任され、取締役会の下に業務組織がある。立派なビューロクラシーが成立しているのが普通だ。ことさらに官僚とビューロクラシーの結びつきを強調してもデメリットこそあれメリットはないと思っている。デメリットとは、ビューロクラシーが特殊な物のように想像され、ビューロクラシーが社会を埋め尽くすというヴェーバーのとらえた「近代化」像が多いに歪む事である。また、続きを読んでいただければ分かると思うが、官僚は、事務局としての政府の上層部のみの事である。
 さて、官僚とはなんだろう。僚の方は、同僚の意味で、仲間うちのことである。官は本来天皇と同じ場所にいる事を許される上級の公務員の事。これに対して天皇と同じ場所に居られない下級の公務員を吏と呼んで身分の差別を明確にする。この慣例に従うと、天皇の住居の建築を行う大工は官である必要はないが、天皇の住居の修理修繕を行う職人は官でなければならない。だから左官(佐官)と呼ぶ。
 官僚、とつなげれば意味は通る、身分差別的な制度の下で天皇を取り巻く事を許された特権的な人々の仲間内の事だ。(江戸時代は主君に直接対面する事を許すかどうかで差別して、許されない士分の事を「御目見以下」と言った。)
 今日でも、公務員は官・吏員(身分の低い役人の意味)を厳密に呼び分けて差別するように定められている。(警察官・消防官などを除けば地方公務員は吏員と蔑称で呼ばれる。実は警察官/消防官も「官を名乗る事が許されている」だけで、公式の場では吏員と呼ばれる事が多い。)
 しかし、主権が国民にあるという事であれば、国民に直接接する市役所の窓口の人こそ官と呼ばれるべきかもしれない。また、身分差別的な用語を日常的に使い、肩書きとして名刺に刷る事自体、ナンセンスとしか言いようがない。彼らが官と言う言葉を知っているのか、知らないのかは分からないが、身分差別上の特権階級と表示しているんだから官僚に対して反感が強いのも当然かもしれない。