「思うに」と「考える」

町村先生のところで学生がレポートに多用すると書かれている。
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2004/12/report.html#trackback
私も結構多用する方かもしれない。
「思うに」を使うのは、通説や既往の研究などの「既成の土俵」で議論しない理由を説明するエクスキューズの前、土俵が不十分だったり、広すぎたりすることの例示を始める時だ。
「考える」、の方は、結論が通説に一致しない時に強引に結論を押し通す時の言葉だな。ついてこない人も居るかもしれないけど、俺はもうそっちの世界の住民じゃない、みたいな意味。
んで、こういう事を書いた時は査読者の少なくとも5・6人はぶった切る心の準備が必要ですね。
追記:
カウンタを見てびっくりした。多分町村先生のところでトラックバックからここへ来ていらっしゃる方が多いに違いない。私は法科とは何ら関係ない人間なので、あまり参考にならないと思うが.....
 一応外部の人間として、一言法律関係の人々がこれを多く使うことについて私見を述べさせて貰おう。
 すでに書いたことを読んで頂ければわかるとおもうことですが、もしエポックメイキングな論文や判決文があったとしたら、「思うに」や「考える」が多用されていても当然ではないかとおもう。学生にとって「学ぶべき文章」にこのような用語法が多く出てくることは想像に難くない。
 しかし、レポートやまとめなどで多用してしまうと、ちょっと違和感がある先生はいると思う。(不勉強や強引な押しつけと読まれる可能性はあると思う)
 僕の住んでる世界では「思うに」のあとには思いの検証が必要だし、「考える」はかなりの暴論を呈していて、「考えられる」ならば「私の編んだストーリーを追えばおわかりになるだろう」程度だろうとおもう。