東京高裁式報酬の計算の仕方を妄想する

小倉先生は
http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2005/01/post_2.html
に、中村氏についてベンチャーを起こすでもなく米国の大学教授に...なんて書いておられるが、音響機器のベンチャーを起こしたMITのBose教授を例に出すまでもなく、起業するにも、資金集めにも便利なポジションだと思います。
 そもそも、中村氏は日亜化学の中で相応の待遇を受ける事を望んでいたのではないでしょうか。それに比べるとぜんぜんしょぼく見えないです。
 一審判決がそのまま確定してたら、めんどくさいから大学教授なんてやってないで起業しちゃうかもしれないですけど。でも、資金とアイデアが分離しているほうが、ベンチャーの成功率は高そうですね。

 で、本題は和解金の妥当な金額なんですが、これ、決めようがない。本質的には日亜できちんとした待遇を受ける事を望んでいたはずの中村氏なのだから。
 離婚もそうだけど、人格や感情に値札をつけようという人はいない、だけど、手切れの時にはそれを表面化させないといけない。

 ここからは私の脳内の妄想。
 これが特許紛争であるのなら、個人と企業の間の紛争でも、企業と企業の間の紛争でも同様の判断が下せないといけない。提携関係にある企業間が手切れをする時に、同様に1/100に減額するような判断が可能か?できないんじゃないだろうか。
 結局、包括的な日亜と中村氏の「手切れ金」として「ジャンボ宝くじ一等前後賞込みの二倍」程度の金額を念頭に置いて、適当に計算をいじっただけなんじゃないかな。
 特許紛争についての妥当性ではなく、大変な功績があった社員の妥当な退職報償を計算しただけなのではないだろうか。
 どうも、発明者(の人格)を保護する日本の特許法を、発明の財産性を保護するアメリカの特許法に近づける和解勧告だったような気がしている。一種の法の改正にあたるものかもしれない。(近づけなければ、日米の特許流通を停滞させかねないのだから、近づける事に正義がなくても、少なくとも意義はある。)
 そもそも命の値段と同様に決めようがない金額を決めているのだから、何円かなんて決められないのだ。だから、当事者以外の都合で決まってしまうものなのだろう。