専門職のパースペクティブ

落合洋司先生の記事で知った
「公立図書館の職員が閲覧に供されている図書の廃棄について不公正な取扱いをした行為が当該図書の著作者の人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるとされた事例」の最高裁判決が非常に気になったので読みにいった。
 何が気に入らないかっていって、新聞で読んだ時に、図書館の運営に基本的責任を負う有資格専門職であるはずの司書が焚書まがいの行為を行ったのに「公務員である図書館職員が」と書かれていた事である。
 たしかに判決要旨で「公立図書館職員の義務」ばかりが主張されて「司書が」やったという側面があまり強調されていない。医師だったらあり得ないだろう。
 しかし、公務員一般に著作人格権への深い理解が要求できない現状では、職員を指揮して著作者人格権を守れるのは専門職である司書しか居ないではないか。
 司書たる物、書籍の積極的選択的廃棄とはすなわち焚書であり坑儒(学者を生き埋めにする事)と並立される人格権の侵害である事を自覚するべきである事は言うまでもない。

 二番目に気に入らないのは、公立図書館だから駄目なのではなく、司書のいる図書館法上の図書館においてこのような事が起きた事こそが問題だろうと思うのだ。まあこれは「国家賠償法上」の判決である以上公立が強調されるのはしょうがないのかもしれない。

というわけで、判決の結果のみ見れば同意できるが、その伝えられかた、有資格専門職の重みの評価というか、有資格専門職の個人的責任の評価というものがあまりにも軽く書いてある気がしてしまった。

ただ、僕が司書だったとしたら......個人的な好き嫌いや思想信条はおいておいて、この手の書籍の配架は非常に悩ましく、おそらく図書館の設置者である教育委員会からも、議会(特に文教担当の委員である議員)からも、住民の方からもいろいろ言われそうである。著作者には申し訳ないが、ほとぼりが冷めるまで閉架書庫に収蔵する選択をするかもしれない。
(でもこれだけ話題になっているものを購入しないとか廃棄するという選択はないだろうな)
閉架書庫のない公立図書館も多いのだが。

ともかく、差し戻しの裁判において著作者人格権とともに司書の中立と独立を尊重した審理が行われる事を期待している。