眺望は財産ではないのか?

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060408/eve_____sya_____000.shtml

弁護士 落合洋司東京弁護士会)の「日々是好日」(http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060410#1144627597
で紹介されていた新聞記事。

これを落合先生が

眺望、景観を守るという動きは、必要なことだと思いますが、その反面で、他人の権利(財産権等)を大きく制約する側面がある、ということも重要でしょう。

と評されていて興味深かった。

なんちゃらヒルズの東京を見下ろせるオフィスは同等仕様の窓のないオフィスより高く貸せる。結婚式場だって庭園や皇居に面した窓があるとその分高い。海沿いの観光ホテルなら海の見える客室と山側の客室では料金が違う事もある。
つまり、眺望や、眺望という付加価値を産む景観に人はお金を払う。財産であるお金と引き換えに手に入れ、付加価値を産んでいるものが財産として守られないのは切ないではないか。

多分、眺望は財産なのだと思うし、それは法的に保護されているはずなのだ。ところが、眺望を保護しているはずの法はあまりに簡単に、頻繁に改正されすぎてまるで保護がないかのような事態になっているのだと思う。

この十年で、ニョキニョキとビルが建ち、曇天の夜、東京の空は航空標識に染まって真っ赤に点滅するようになった。公園は管理費の削減の憂き目に遭い、江戸時代からの伝統ある庭園も荒れ放題。

眺望は夜店で買った手慰みの玩具のように、壊れ失われても当たり前の儚い財産に成り果てた。

その十年の後に「首都の風格ある景観を守る」とはいったいなんだろう?

たぶん、「首都の風格」が失われたから言ってるんだろうと思う。「失われた財産」を守ろうなんてのは馬鹿げていないだろうか。ましてや首都の風格なんてのは財産ではないだろう。私的な眺望の財産も守れないくせに、社会的な幻想を守ろうとしている気がする。