バブルが宗教だったとしたら?

bewaadさんが、BI@K(http://bewaad.com/20060414.html)で、宗教学者がバブルを宗教としてとらえて論考した本について評論されている。
元の本は「 宗教としてのバブル ソフトバンク新書 」
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797333413/249-2665381-4781933

 評論の元の本を読んでいないし、読む気も失せているので、著者には申し訳ないが、もし私がバブルを宗教としてとらえるなら、と考え直してみた。

 おそらく、特に現世救済的側面を持つ新興宗教について議論しなれた宗教学の視点で、人々の内面的問題がいかに経済現象に繋がるか、そのダイナミクスを明らかにしようとする試みは着想としてアリなんだろうと思う。

 ただ、BI@Kで引用された部分についてのみ言えば、当時の表象に現れた内容と著者の規定する宗教としてのバブルがあまりに乖離しているので、信じる気がしない。
 たとえば

私たち日本人は、高度経済成長以降、右肩上がりの経済成長を全とする特異な宗教の信者になってきた。

右肩上がりを信奉しただけでは、バブルにはならない。右肩の上にかさ上げが行われた事が後ではっきりした時に、「バブル」と命名される。そもそも普通の人は右肩上がりかどうかをはっきりと意識してそれを信奉することはない。もし、信奉している人があったとしたら政府や日本銀行、マスコミなどのバブルの教祖層の中に秘術として伝わっていたのだろう。それは民衆の信じた物ではない気がする。

では教祖たちはバブル時代、青年であった私にどのような教義を説いたのか思い起こしてみよう。ただし、教祖たちの言説の個別ではなく、私が教祖たちのメッセージをうけとめて総合的に「きっとこういう事を信じさせたいんだな」という感じで感じていた事を。
予言の書である読売朝日毎日日経にはこう書かれていたような気がする。

 今後は国際化の進展、完遂はさけられない。先の円高不況はその第一波に過ぎず、今後はビッグバンが起きて日本の経済体制は一変する。私は環状七号線の内側を高層ビルで埋め尽くし、その日に備えよう。その日は裁きの日でもある。諸君らは富める者と貧しき者に分たれ、貧しき者は二度と這い上がれないであろう。富める者とは土地に代表される資産を持つもの、そして貧しき者とは資産をもたず、人からそれを借りなければ生きてゆけない者である。

神は「国際化の神」もっと露骨に言えば「アメリカ」だった。
神の存在は「円高不況」「貿易摩擦」「TRONの敗北」などによって証明されていた。
政府はくそ真面目にその日を迎える準備をしていて、その事業の末端で森ビルが並び立ち神田の古本屋に街宣車が突っ込んだ。

こういうのがバブルに繋がる信仰を支えてたように見えたんだけどな。
そして、みんな真面目に「土地を借りなくてはならない者は地獄に堕ちる(貧者になって二度と中流には浮かばない)」と恐怖していたよ。

じゃ、バブル崩壊でバブルの神は死んだのか?全然死んでないよね。3歳児に競って米語ならわせてるし。変わったのは、予言の部分だけ。土地崇拝はなりをひそめたけど、覆しようのない格差が広がるという部分はそのまま生きているかも。

え、いまは何をあがめろって言ってるかって?そりゃ金でしょ。この数年はモノやサービスに対してカネが突出して値上がりしてデフレって歴史的世界的に珍奇な現象になってるみたいだから。