「何かお持ちしましょうか?」の是非

ネタもとは「prepre日記」
http://d.hatena.ne.jp/prepre/20060522#1148275248
飲食店でドリンクが空になった時に「何かお持ちしましょうか?」って従業員に言われるのが不快かどうかについて「BAR BOSSA通信」というところで論じられている。
http://blog.goo.ne.jp/barbossa2005/e/10a5dfcd12147f9a6bebcf15d8fb9fd0

 酒に強い方ではないので、滅多にバーで飲んだりはしない人間なのだが、結論から言うと馴染みの店で「何かお持ちしましょうか?/次をおつくりしますか?」と言われる事は全く不愉快ではない。マスターもチーフもそういうコミュニケーションで、入店前に飲んできた酒の量を推し量り、次に薦めるカクテルを選び、テンポを整えて楽しい時間を作ってくれる。(私の酒量の限界近くだと、「次をおつくりしますか?」でうなずくとマスターが勝手に抹茶をたてだし、チーフが帰りの車の手配を考えだす。)こっちもアルコールを摂取したいだけではないからバーに行くのだし、向こうもまた来てくれると思っているからそのようにもてなす。
 年に何度も行くわけでもないのに、私にとってのバーはその店以外にない。他の店は、その店の代わりになれない。コミュニケーションの蓄積の有無はとても重要なのだ。
 行きつけのフレンチのお店でもソムリエールから「お注ぎいたしますか?」と言われるけれど、これも料理とワインの組み立てを上手に仕上げるためには必要なコミュニケーション。そして、そのコミュニケーションの成果が出るのは必ずしもその場だけでなく、私の酒量や、好み、ペースといった蓄積ができ、次回はもっと楽しめる。
 で、そういう事にお金がたくさんいるかというと、実はそうでもない。貧乏人がたまにする贅沢というレベルの出費で十分まかなえる程度の請求書が出てくる。(贅沢なのだから、金がないから行きたいけど行けない、という状況はもちろんあり得る金額でもあるが)
 仕事をしに立ち寄る行きつけの喫茶店でも、飲み物を促される事はあるし、ちっとも不快ではない。
 きちんとコミュニケーションが取れているから、目隠しテストをして出された品を品評するといったレベルの「店の実力」以上に楽しめる。(バーもフレンチも喫茶店もそこらの雑誌で紹介されている程度の店よりは実力も上だ。それ以上のサービスを受けているのだから、「自分がとても飲食店に恵まれた人間だ」ということはいろんなものに感謝しておくべきかもしれない。)

 でも、「何かお持ちしましょうか」といった促しをポジティブに受け止めていない事もある。自動販売機の缶コーヒーやワンカップよりも多少うまいから/らくちんだからとたまたま立ち寄ったチェーン店の喫茶店や居酒屋などの飲食店でされたら、不快とまでは言わないが当惑する。
 こちらは「この店にまた来よう」とか考えてないし、向こうだって客の顔を覚えて接待する事なんて考えてすらいないし、その店で飲んだ酒の量だって把握してないだろう。お互いにお互いを消費して、何も残らない、そういう関係のはずだ。よけいなコミュニケーションはいらない。
 雑誌に掲載される事を無条件によろこぶ店、というものがあるけれど、そういう店は、客もまた消耗品であり、客にとっても消耗品だったりするのだろう。

 私が行きつけている店でも、おなじみさんだけでは経営は安定しないから、雑誌の記事がうれしいことも多分あるだろう。でも、彼らは雑誌を見てきた客と、コミュニケーションし、顔をおぼえ、もう一度きてくれる事、そしてその店に「はまって」くれる事をめざしてサービスに励む。

 単純な支払額では、「常連が一見さんより楽しめる店」の方が多少高いかもしれないけれど、一概にそうとも言えない。一方で、料理や酒のパフォーマンスという面では、一期一会なチェーン店など正直に実力だけで勝負しているわけで、必ずしもレベルが低いとも言えないと思う。

 単に私の好みに合っているから、コストパフォーマンスで「なじみになる事」を選んでいるし、それに合った店を選んでいるから「何かお持ちしましょうか?」は問題にならないのだ。運良く「実力的」にもすばらしい店に出会えているし。

 もっとも経済的に成功した人が常連客になってくれる事を期待してサービスする店というのは、おそらく相当に質の高いサービスを提供するのだろう。
 しかし、嗜好の問題以上に階級の問題だとも思えない。