平均の与える恐怖
さて、前のエントリで簡単に「捨象した」と書いてしまったのですが、多少反省して、平均について書いておきます。
少子高齢化が報道されれば報道されるほど、少子高齢化が進んできました。そこで目にするのは「平均」という形に集計された多額の子育て費用や機会損失です。平均収入ほど収入がない人には、平均の機会損失なんて発生しません。*1
実際には収入と同じように、支出も一部の高額支出者の話かもしれません。
平均に集約して平均値だけが喧伝されると「え、そんなお金払えない」と思ってしまっても無理はありません。でも、それは年収一千万円とかある人が膨らませてしまった費用なのかも知れません。そんな事よりは年収400万円の子育てとしてはどんな方法があるのか、とか、年収600万円ではどうか、とかを知る方がずっと役に立つのですが、国が率先して驚くような機会損失とか費用を喧伝しています。そんなものに惑わされず自分は自分、と考える事が大事なのかもしれません。(一般的に所得に応じた合理的な行動を説明するのに集約モデルを使うとうまくいかない事はよく知られているはずなのですが。)*2 それでも実際に子育てするかしないか悩む時に直面するデータはこの平均値なわけです。
もう一つ、厚生労働省を例に「平均」を上手に使いこなせない人が多いみたいに書きましたが、情報の出し手だけでなく、受け手も含めて「平均」を理解できるほどには日本の教育水準は高くない、と指摘しておきます。
役所の採用試験には「こんなパズル解けるかどうか、行政に関係ない」と不評の「数的推理」というのがあって、まだましな人材が揃っているはずなのです。これがマスコミになるともっとできない人が一杯いて、「平均」とは「普通」の事だと思っています。
そういう中で平均情報がどんどん生産され、流布されているので、その悪影響も考えなければいけませんね。