「経営をわかったつもりになってる奴」の給料とか上げないでいいな、という気分

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080803/p1

ネオリベ自由経済を否定するのは、
「時速50Km制限だと、運動神経がとても鈍い人の命が危険にさらされるから、
全ての道路の制限速度を時速10Kmにすべきだ。」
と言っているようなものではないでしょうか。

実際には、時速50Km制限の道路は、大多数の人にとって、自由に、気持ちよく走れるのです。
一部の、極端に運動神経が鈍い人のために、時速10Km制限にして、
大多数の人が好きな速度で走れる自由を奪っていいということにはならないでしょう。
すなわち、一部の弱者のために、社会の大多数の自由を大幅に制限してもいい、
という倫理観はバランスを欠いているのです。

しかし、我が国ではほとんどの道路は、地方自治体が近隣の負担によって設置していて、その近隣の利益になるのは時速10km以下の人だけだ。
道路の敷地を供出した店舗に時速50kmで誰かが突入してきたらそれは事故であるし、近所の家を時速50kmで飛び出して行く小学生はいない。
 時速50kmの人たちは道路を設置した人たちにはどうでもいい人。もちろん滞られても迷惑だからとっととどっかに行って欲しい。が、そいつらのために何かしてやりたいとか、そいつらが道路の最大の負担者だとか、利益をもたらしてるとかは、まずないだろう。
 そういう奴らが負担もしないくせに数だけは多数になって「一部の弱者のために、社会の大多数の自由を大幅に制限してもいいという倫理観はバランスを欠いている」とか言い出すから困る。メリットのための負担を担う能力のない「弱者」が多数になっちまった。
 しかも弱者の内輪では時速50kmで満足したりは絶対にせずに、前の車に嫌がらせをしたり、なんとか前の車を追い越そうと隙をうかがって、前に出たら出たで運転技能が足りずにスピードを落としたりする。そういう生産性のない努力を命をかけてやってる馬鹿は毎日見てる。たまにそういう馬鹿が人をはねるのも見る。

 経営に参加もしていないのに経営を云々する奴らが多数になるとそういう勘違いが横行しそうな期待が持てるたとえ話ですね。
*1

*1:経営が理解できるのは、やはり一部のエリートだけなんじゃないでしょうか?