所有権は復権するか(しないでほしいんだが)

またまたfinalvent氏のエントリからの着想。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081227/1230334272

えー、あんまり「じゃぱんあずなんばーわん」(棒読み)な事を言うと笑われそうなんだけど、もともと日本経済が所有権のやりとりでドライブされているわけじゃないんだと思う。

消費税導入の時の議論で、

日本の流通コストは異様に高くて、生産された財が消費者に届く時には何倍にもなってる。流通を簡素化すれば、同じ金でもっと効用が得られるはず。消費税導入は流通の簡素化につながるよ。

みたいなのがあった気がする。

で、財の所有権だけが流通してるなら、安ければ安いほどいいわけだけれど、最終価格と原価の差が「サービス」でしょ。

 つまりリンゴでも乗用車でも、物品の所有権をやりとりしてるわけじゃなくて、リンゴの格付けとか、乗用車の商品知識や整備能力や故障対応能力を含めて、いろんな「サービスを購入」してたからそうなってた。当然価格形成は難しかった。

 自分でいろんな事をやるかわりに、人に金をはらってやってもらうようになる事を「中流」というならば、確かにみんな中流だったのかもしれない。

 サービスを「無駄」と呼ぶようになったのはわりと最近だよ。

 バブルの後半から、モノの価値は一つなんだから安けりゃ安いほどいい、みたいな物神崇拝的な話になって「所有権マンセー」なサービス叩きが横行して、最終価格と所得が下がり続けた。

 電機業界の特約店制度とか、近隣に必ず米屋が一件あるとか、そういうのはどんどんなくなってきた。家電なんて数年前までは特約店で買うと、すごく安心できたけど、安心を提供するくらいなら値段下げた方が売れるって事でもうサービスを売る事すらやめてしまった。*1

 メーカーにとっても商品とサービスが一体化する事が、開発にフィードバックされて、品質向上に役立ってメリットがあったんじゃないかな。カローラだって、炊飯器だって、単なる技術屋の思いつきじゃなくて、商品を開発できた基盤だったんじゃないかな。

 で、所有権マンセー(サービスぶっつぶし)を一生懸命主張してたっぽく見える経済学者*2が、「所有権だめかもしらんね」と言うのだったら、新しい信仰をもうちっとちゃんと語れないと、「所有権マンセーが嘘だったんじゃね、この嘘つき」となるだけのような気がするですよ。

 所有権マンセー*3なんて、日本ではこの20年くらいの底の浅い歴史しか感じてないわけですよ。40台前半の私としましては。
 でもコドモ時代に貧困の残り香を嗅いだかもしれない50台にはきっと別の地平が見えるのだろうな、とも思う。

*1:それでも量販店やネット価格に比べれば、通りがかりに300円くらい高い値段で買えて、梱包材の処分までしてくれて、故障してもすぐ相談だけはできて、随分得してるな、と思う。300円が惜しいから往復一時間半かけて車で量販店行く奴って、どんだけ時給安いんだろう?とも思う。

*2:時給安いんですかねぇ....

*3:そしてみなさん中流から転落