日本が管理通貨制度に移行したのはいつだったか

http://d.hatena.ne.jp/kmori58/20090221/p1

どうやら、それは過去に日本で放送されていたある番組が原因らしい。この番組はけっこう多くの人が見ていて、今でも再放送されているから、かなり広い年代の人間がこの影響を受けているのではないだろうか。

そしてkmori58さんは、「まんが日本昔ばなし」の「貧乏神と福の神」という回を紹介している。
たぶん1976年1月に放映された回。

これをヒントにちと考えた。

僕が産まれたのは国際金本位制の世の中だった。

その頃は米ドルが兌換紙幣として機能し、金との交換を保証して、固定レートでの為替取引で各国の通貨の価値が決まる。つまり、ドルを買うのは金を買うのと同じでドルと固定レートで結ばれた日本円を持つ事は、最終的に金と同じ価値だということだったんだ。

米ドルと金の交換が停止されたのが1971年8月。僕は幼稚園児だった。
不安定なスミソニアン体制を経て、管理通貨制度への移行は1973年に変動相場制に落ちついた。

当時NHKのニュースで、今後貨幣というものがどういうものになるのかを何度も繰り返して流していて、それについて父と母にあれこれ聞いた覚えがある。

日本円兌換券の流通停止のニュースが流れた時はもう大学生になっていた。

我々はひょっとしたら中学と高校の社会科でフルに管理通貨、変動相場を前提とした教育を受けられた最初の世代だったのかも。
だとすれば、お金の根本的な意味が「特定金属の引換券」から「通貨」になる、その頭の切替を幼いうちに済ませる事が出来てとてもラッキーだったのかもしれない。

それでも、親の頭が切り替わらなければ、子供にお金を違う意味で教えちゃうかもしれないし、社会に、というか、文化にそれが浸透するのはずっと時間がかかる事だろう。

もし、幼い頃にこういう番組を見た事が文化に定着して長く影響の尾を引いているのなら、兌換性のしっぽはまだまだ残るんだろうな。スミソニアン時代にどんな社会科教育がなされていたのかちょっと知りたい気持ちになった。

考えてみると、1953年生まれのFRBバーナンキ議長は変動相場/管理通貨制度の下で大学教育を受ける事ができた最初の世代に属するんだな。

日銀の政策委員会の構成員で一番若い人でも1959年生まれ。次に若いのが副総裁で1953年生まれ。


日本の問題はやっぱり老害かな。