国辱ですか...........確かに米国流ではないですね。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090302AT3S0200H02032009.html
鳩山総務相「国辱もの」 旧東京中央郵便局を視察 (3/2/09 NIKKEI NET)

鳩山邦夫総務相は2日、再開発工事が進んでいる東京駅前の旧東京中央郵便局を視察し、重要文化財の価値がある建物を「米国流の利益追求主義で壊してきたのは国の恥だ。国辱ものだ」と語った。日本郵政の全株式を保有する株主として、再開発の中止を求めていく考えを改めて示した。

に対するny47thさんのご意見
http://d.hatena.ne.jp/ny47th/20090302/1236007831

規模は違いますが、私の今住んでいるマンションの向かいにある古いお屋敷が、最近、取り壊されました。蔦の絡んだ白い漆喰の塀で囲まれた昔ながらの木造建築のお屋敷はとても雰囲気があり、いつかああいう家に住んでみたいなぁなんて思ったものですが、それが介護施設を建てるために重機で取り壊されるのを見ていると、やはり切なさを覚えます。

その意味では旧東京中央郵便局の建物取り壊しは、残念なのは同じなのですが、それを「米国流の利益追求主義」というところに違和感を。

僕にもものすごく違和感がありました。
そもそも「既に容積率が緩和されてるから建物とっかえる」だけでしょ。こんなのただの「建設」で、これっぽっちも「再開発」なんかじゃない気がするんだけれど......*1

 既に開発された地域が「市街化を促進すべき地域」に指定されっぱなしで、公共が負担して開発投資を継続して行い、定期的に公共から地主に容積率が贈与されるような法的な枠組みは我が国以外ではあまり見られないと思います。
 通常の国では「新規に利用可能となった潜在的床面積」は再開発で道路や公共施設等の整備を行った「面的な投資を行う主体」に与えられるものですね。道路を整備してより高密度の利用が可能になった場合、新規床面積の権利は道路を整備した主体がとり、土地を供出した主体などに分与します。普通は「土地を持ってただけの人」には開発行為の分け前はありません。

 潜在的床面積は、「建物を建て替えなければ利用できない」うえ「税負担を産む」という性質上、あきらかな「不良資産」です。不良資産が公共から一方的に贈与されてしまった以上、利益至上主義でなくても日本的でも米国的でも、どんな国の会計原則を適用しても、不良資産の解消をめざさないといけないと思いますねぇ。

 既開発地域の地主への無償での潜在床面積の贈与は必然的に建築物の寿命を短くするはずです。*2

 新規床面積の贈与そのものが日本的かというと、日本の都市計画法受益者負担が大原則になっていたのです。このような開発負担なき容積緩和のバラまきが確固たる「国の方針」になったのは第二次臨調だった*3し、小泉政権以降も継続していると思いますので、「財界の伝統」とか「改革利権」と言うならともかく、国民性や民族性に根ざした「日本の伝統」ではないし、まったく米国的ではないものと考えています。*4

*1:本来は「容積率を緩和できるようにする事」が再開発でしょ。

*2:1980年代以降、国が容積率の贈与を継続して指令している以上、どんどんランドマークを潰し、耐用年数未到来の建築を繰り上げ償却させ更新させる方針のはずです。

*3:そして、大量の地上げと土地神話を産んだ。

*4:本当に財政再建規制緩和を上手にやりながら都市計画したければ、緩和分の容積は公共のバランスシートに積んでおいて、建物の更新時に土地所有者が有償で買い取るように制度設計すると思いますね。不景気の時にだけ時限的に値下げするような措置をとれば景気刺激策にもなるのかも。