移植には私の体を使わないで下さい。と家族みんなにいっとかないといけないかも。

毎日車を使う以上、いつ脳死が訪れるかわからないし、あるいは脳死をもたらす側にたつ可能性だってある。


人の死亡判定の基準を移植のために決めるというのは本末転倒も甚だしい*1気がするのですが、賛成多数で改正案A可決ですか。新聞の写真は大喜びの小泉元首相。

 医療にできる事の大枠に縛りをかけて、「医療圏が崩壊してる」とか言ってるのに、移植医療は進める必要があるわけですね。ふうん。
 「飢饉のさなかの大食い大会」に見えなくもない。


 私は、脳死は人の死だと思っている。また、医師一般には信頼をおかねばならないと思っている。

しかし、脳死事例がそれほど多いと思わないのに、確認手順を省略したり、といった報告があるようで、「移植推進派の医師」となると信頼するのは困難だ。脳死そのものが実験的医療の段階にあるようにしか見えないのに、このような法案を支持している人たちだし。

だから、通常の心臓死のプロセスを経ない限り、死体からのドナーとなる事は拒否する。本人意思が不明の家族の臓器移植も拒否する。


参考:
信頼に足るものかどうかは私にはわからないが脳死について
http://www6.plala.or.jp/brainx/contents.htm

実験的医療における「これを踏みこえたら人類に対する罪」のガイドラインニュルンベルク綱領
http://www.apionet.or.jp/~niss/days/nyurun.html

*1:死の定義をこんな守備範囲の狭い法律にまかせていいんですか?「民法」なりに死の定義を加えるべきなんじゃないですか?