年金制度の不正義ではないとしたら

平家さんとの対話*1

「引退した戦士たちと世代間格差」に思う その2
http://takamasa.at.webry.info/200907/article_8.html

世代間扶養の一方、つまり高齢者の扶養を私的なもの(仕送り)から公的なもの(年金制度)
に切り替えておきながら、もう一方の世代間扶養、子供の扶養、育児、教育を親の責任のまままにしていることが矛盾なのです。子供を将来の年金を支えてくれるものと正しく認識すれば、子育て支援の制度と年金制度は対になっているべきものです。

うーん、何が「現行制度」なんだろう、というところが食い違っているかもしれない。

個人的体験では、公的支出の伸びにタガをはめたうえで、高齢化社会*2の到来による年金支出や医療費増に対応するために文教支出等を含むその他予算を削るという制度の大枠の中で、年率20%で上昇する学費を負担してくれた定年間近の親に、新たに義務化された基礎年金加入まで*3支出してもらった。

平家さんが「対になるべき」と言っている政策は、実際にはこの20年もの長期間、プラスとマイナスを逆に繋いだ形で「対になって存在している」と思う。

「引退世代扶養を維持するため」に「社会で子育てをする制度」は圧縮する

ということを、第二次臨調以降のすべての政権も基本的了解事項としていると思うし。

追記:

私がこの「逆セット」のない年金制度を経験した事がない事が、議論のズレの原因かもしれません。


本題とズレるけど......
子供に恵まれなかったのか、意思によってなのかは別として、「最初の子育て放棄世代」*4である団塊の世代の「親にならなかった」人たちに対して我々は生活保護以上の扶養義務を負うべきなのだろうか、という疑問も一瞬湧いたけど、あまり考えないようにしよう。

*1:っていうにはこっちのレベルが低すぎるかもしれないが。

*2:当時はまだ少子とは言われてない

*3:事務処理が追いつかないという理由で加入は一年遅れたが

*4:コーホート出生率が2.0を大きく下回った世代