どうして公園?どうして自衛隊?

 公共経済学において、準公共財の代表例が公園であることにちょっと難癖をつけてみた*1。一方で、公共財の代表が自衛隊になっている事が多いようだ。
 ちょっと考えてみよう。
 自衛隊は本当に公共財(消費の非競合性と消費の排除不可能性)の条件を備えているだろうか、たとえば航空自衛隊の基地を考えてみよう。その基地で防衛できる範囲に多方面から敵機が来襲した場合、防衛目標を限定して対応せざるをえないから、火災多発時の消防力と一緒で、消費の競合は起きるだろうねぇ。また、別に民兵とか武装自警団なんて世界的には普通なんだし、消費の排除不可能性も実はないんじゃないだろうか。
 結局、自衛隊の公共財としての性格は、武装とか、弾薬とか、基地とか艦艇とかよりも高次の国全体の「防衛力」として見ているからはっきりと認識できるということなんじゃないだろうか。一個の弾薬、一個の小銃、大砲、艦船、戦闘機、基地、などなど、それぞれ個別に取り出したときには準公共財だったものが、統合されると公共財として疑いの持ちようがない存在になる。
 つまり、公共財は「防衛サービス」であって、個別の施設や装備は準公共財なんじゃないだろうか。現に国所有じゃない土地に基地があったりするわけだし。

 公園でも同じで、個別の公園敷地や遊具を見たって、準公共財としての性格しか出てこないわけで、それが公園緑地系統の整備による防災力であるとか、避難需要に応じた避難経路や緊急避難場所の提供とか、温熱環境緩和機能であるとか、生態系の維持機能であるとか、吉宗の着想した人心の安定であるとか、そういう公共サービスのレベルで考えれば、都市の安全と快適という公共財の実現手段であるはずだ。
 あるいは道路は準公共財かもしれないが、「交通の自由」は公共財だろう。

 公共財、公共サービスというのは、きちんとその根源となる公共性をおさえて解説されなくてはよくわかんなくなっちゃうわけで....

公園や道路についての公共性というのは都市計画などの形で明文化されている筈であるのだけれど、書いてる人も、それを監督する官庁の人たちにしても、どうも都市計画の公共性をちゃんと理解して書いてるとは思えない気がする*2

 他省庁の行政文書に「他の理由がなければ公園は準公共財」みたいな話があったら、国土交通省が「他の公共的な理由がなければ公園にはなりませんよ」、環境省が「国立公園は景観という公共財を守るための規制区域なので公共財です」とツッコミを入れるべきだろう。
 それができない状況じゃ公共経済学の人に「公園なんぞ準公共財、民営でいいじゃないの」と言われてしまっても、「都市計画なんて飾りです」でもしょうがないのだろうなぁ*3

 都市に空地を管理された形で持つ事、その公共的な意義について、苦い経験に基づいて議論されてきた*4歴史があるわけだけど、現代はそういうものはかえりみられないのかな。

*1:http://d.hatena.ne.jp/kumakuma1967/20071219#p1http://d.hatena.ne.jp/kumakuma1967/20071218#p3

*2:自分の家の近所の都市計画には「住民を追い出して商店ばかりにする」と書いてあるのだけれど、指定は商業と居住の混合地域だし、どのような公共性があってそうするのかチンプンカンプンだったりする。さらに住民を追い出す筈の場所に児童公園が指定されてたり。

*3:そんな都市には住みたくないけど。

*4:「公園は都市の肺」とか、本所被服厰跡の悲劇とか、だいたい高校生までに習う事ですが。