歪んだ道路
ここんとこアクセスが多いのでおとなしくしてようかとも思ったのだけれど。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080119/1200698046のfinalvent氏経由で
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20080118AS1K1800718012008.html
日経春秋
法律によれば自転車が走るべき道は「車道が原則、歩道は例外」。しかし現実は法と異なり、歩く人の間を自転車が猛スピードで走る危険な光景をしばしば目にする。専用道も一朝一夕には完成しない。他国の良い知恵に加え「譲り合い」という日本の生活文化も生かし、道という公共空間を皆で上手に使いたい。
今日自転車に乗っていた。
これを書いたおっさんに自転車で車道を走る体験をお勧めしたい。
皆で上手に利用したいなんてこれっぽっちも考えない人たちに出会えるから。
もちろん、自転車に乗る人の中に「も」そういう人もいるだろう。
しかし、人を排除する能力は圧倒的に自動車の方が高い。
自動車に乗る人は存分にそれを利用して自転車の走行を妨害する。
赤信号を前に減速すれば無理矢理前に割り込んで急ブレーキをかけるだろうし、ガソリンスタンドから出たいと思えば進路を塞いで強制的に停止させる。歩行者に対するのと同じように自転車に対しても当たり前に力を行使するし、法律なんぞ守る気は最初からない。*1
法律は事故が起きた時だけ有効に作用する事がある。しかし、そのためにはまずなんとしても生き残らなければならないし、我が国の法律は事故で利益を得る人はいないように出来ている。
そして事故が起これば人の命は金銭に交換される。昨日の官房長官が「ガソリン税はガードレールなど、歩行者を守るためにも使われます」と語っていたが、事故があって死んだ人の命は金銭に換算するのがこの国のルールであって、それは事故の主たる責任者である自動車運転者が支払う。税金と賠償金、金銭の次元で語る限り、ガードレールが守っているのは自動車運転者の財産にすぎない。*2
こうなるのにはそれなりの経緯はある。
ガソリン税の根拠である道路整備特別措置法の成立は自動車交通マンセーな世の中を造るというのが、昨日の話題*3だ。
個人的には、道路交通法の1947年国際交通条約準拠が決定的な役割を果たしたと考えている。条約自体は自動車の通行を円滑にしてあるような道について規定するもので、車線区分されていない道路などについてはかなりの自由度を与えている、しかし、国内法の整備にあたって、センターラインも路側帯もないような道路についても道路を「車道」と位置づけて車線区分されていると見なして、自動車交通に供されている道路と位置づけるという凶悪な解釈がなされた。
車一台が通るのがギリギリの幅の道路ですら車両の通行が主目的とされて、歩行者、自転車、その他の交通は隅にやられた。激変が最も著しかったのは主婦とコドモたちで、今日、住宅街の道路ですらコドモたちが「ケンケンパ」をしたローセキの痕跡を見出す事は難しくなり、道ばたでの井戸端会議は歩車分離されたニュータウンの特権となった。
道という公共空間はガソリン税と1947国際交通条約によって自動車利用者のプライベートな空間になったのだ。道路を再び公共のものにするのは非常に遠い道だと思わざるを得ない。