コモディティーの生き残る水準

某所で見た限界集落の話とか、国内農業の話で思った事。
農業ってのは基本だ。基本で重要なのだけれど、基本だから全体的にはコモディティーでもあって、これからの成長分野とは言いがたい。個人的意見としては「市場が決める事だ」という意見には賛成。

 ただし、国産食糧の保護政策をとる必要があるかどうかはともかく、自国民が飢えない事と世界の食糧供給について、公共的な関心と介入は必要であると思う。

 オレンジの輸入が自由化されたとき、「俺はミカンの方が好きだし」と思っていた。自由化でミバエが入って来て大変だったが、ミカンに虫害が広がる事はなくて、今でもおいしく食べている。その事を幸せだと思うし、ミカン農家には潰れた所もあるけど、生き残ったところ、前より儲かってる所もある。
 全体として生産額が落ち、農家数が減っていたとしても、ミカンで喜ぶ消費者が居て、数は減ったとしても儲かる農家がいる。そういう状態は肯定したい。それを肯定するのならば、北米産の未殺虫柑橘の輸入は阻止されるべきだった事になる。*1

 我々が農産物を消費する時には、物質的な消費だけではない*2。成長分野でないからといって、農業が全部高成長を期待できないとかそういうことは全然ない。また、そういう特化した作物をつくってなくて、農業不適地とされて公的補助もほとんどないのに、農業の経常利益が500万を超える同世代の農家も知っている。*3仕事は忙しいけど収入に結びついているし、自分の仕事時間を自分で決められるのなら十分だとか。
 生きた化石シーラカンスを「全く進歩していない」「生き残る価値がない」と言うような事を言う文系バカがマスコミにいる。けれど、シーラカンスシーラカンスのニッチに合わせて進化している。進化していて、形態が変わる必要がなかっただけ。あるいは変化の少ない環境に適応しているだけ。それなりの存在意義がその環境にあるから生存している。あるいは生存している事が、その環境にシーラカンスが適応してる証拠とも言える。
 シーラカンスが今後も生き残るかどうか、それは環境で決まる。

 で、日本の農業が衰退するか、生き残るか、今それを考える時だろうか?
農業に限らず、「全ての普通の仕事が継続できない」ような氷水を人為的に日本経済全体に浴びせているのがデフレって奴じゃないのか?
 10年の単位でデフレ環境が継続してたら、無茶な保護政策が出て来たりするのも当然な気がするけど?大きい政府とか小さい政府とか、自由市場がどうとか、人為的なデフレ環境下で有効な議論なのかな?農業じゃなくたって継続の見込みがないでしょ。

*1:外国産=薬剤まみれという印象は、自分の周囲の体験の範囲で言えば輸入柑橘がすべて殺虫処理されていたことがかなり影響してると思っている。現在では残留農薬が恐いのは国産でもあまり変わらないと思っているので。

*2:たとえば夕張メロンは「夕張メロン」という情報に意味を与え、その意味によって付加価値を作り出したわけだ。当然我々は情報も消費する。

*3:暇な時期があるので、500万と別に季節的な副業収入があるようだ。