国土交通大臣が訴追されていない事の方が問題かなぁ

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080412ddm041040101000c.html

静岡・日航機ニアミス:逆転有罪 「全責任あるのか」 管制官に衝撃

 「納得していないので上告したい」。日航機同士の異常接近(ニアミス)事故で、東京高裁は11日、管制官2人に逆転有罪を言い渡した。

うーん、たとえば落雷で信号が壊れて全方向青になったところで人身事故が起きたらどういう判決が出るか考えてみる。
 信号が青である事自体は運転手の徐行義務を免除するが、交差点の安全確認の義務を免除しないので、優先関係で劣位の運転者が第一の責任者で、優位の運転者が第二の責任者。信号が青であった事が証明されれば刑事では不起訴相当となるかもしれない。もちろん、警察は問題に感じて避雷針の工夫とかしなきゃいけなくなるよね。
 管制官の仕事を考えると、「信号が警察官の手信号」となっていたらどうだろう。この場合も一般的には運転手の責任。信号には「進んでも良い」と「停止せよ」はあるけど「進め」なんてのはない。あくまで安全確認の義務は運転手にある。 警察官が腕をぐるぐる回して「オラ行けよ」という調子に見えても横断歩道をあるく歩行者がいたら停まっている義務がある。警察官の手信号がどのような指示をだしていたかによらず、運転手に過失がなければ事故がおきないようなシステムなのである。だから、当事者でない警察官や工事現場の警備員は普通は刑事では起訴されない。民事では責任があれば応分の負担をすることはある。直接手を出せない人より直接手を出せる人の責任が重くなる。そうでないと不完全な世の中では事故はふせげない。
 これが以前は「運転する人の常識」だったもの。

 当たり前の事だけど、たとえ因果関係があっても、関与が間接的な人と直接的な人では直接的な人の方が責任が重い。*1

 物理的に衝突を回避できるのは操縦席にいる人たちだけであり、それに間接的に関わる人たちは組織の一部としてしか関与できない。だったら必要な人員配置とか研修とかも含めた組織責任を問わなければ法律が社会の利益を守れないだろう。間接的な関与に視点を広げるのだったら、過密路線で新人研修をやらせるような体制を作った国土交通大臣の方がはるかに罪が重くないかい?

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080412ddm008040074000c.html

そのような緊急場面で誤りを犯すことは重大な結果を引き起こす恐れが高く、決してあってはならないのに、緊急場面に心理的余裕を欠き、便名を間違えて指示を出す初歩的誤りを犯した。捜査段階でこそ一応反省の情を示していたものの、公判では管制官の重要不可欠な役割を殊更矮小(わいしょう)化する不合理な弁解を行うなど、開き直りともいえるような態度に終始している。

↑の判決要旨を読んで思ったのだけれど。東京高等裁判所の判事が近所に住んで車を運転していたら、本当に気をつけてないと怖い。できれば裁判所判事には運転免許を与えないで欲しい。
*2

*1:しかし、市民感覚がからむとそうはいかないらしい。栃木県かなんかの検察審査会が手信号を間違えた警官の不起訴を不当として再審査というのがあった気がする。

*2:まあ、裁判所判事というのはnot(A and B) = (not A) and (not B)と考えている人が多いくらい論理性を欠いているらしいので、何言っても無駄な気がする。http://www.atmarkit.co.jp/fsecurity/column/ozaki/29.html ←については数学的表現にしたから間違うんじゃなくて、法律の言葉にしても間違うんだってさ。理系文系っていう問題じゃなくて、普通に日本語が読み書きできるレベルの論理性はないって事だと思うけどね。