死体の数を数えたのはわかった。で、救った数は?

 コミュニケーションは一般に自殺や犯罪の防止に効果があると考えられている。で、毎朝毎晩マスコミュニケーションでは自殺や犯罪とその時に関係者に利用されたipや携帯のネットワークの事例紹介が出ているわけだ。

 ネットワークってのはたくさんの人の共有できるマスコミ的な側面と、一対一のコミュニケーションとが組合わさっている道具だ。
 だから、塞いでる人にマスコミ的側面で気がついて、一対一のコミュニケーションで心配事を聞いたり、せめて愚痴を聞いてやったり、会う約束をして誤解をじっくり解いたり、いろんな役に立っている。

 ネットワークを道具として自殺した中高生はたくさん居るだろうが(これについてはかなり懐疑的だけど後述)、ネットワークを道具として使って自殺を思いとどまった中高生だってたくさんいるはずだ。ニュートン以前の重力のようにどう量ればいいのかよくわからないが、その力を否定するのは相当にアンフェアな議論だろう。*1

 アンフェアな議論しか出来ない、それでも決めなくてはいけないから政治があるわけで、世の中からアンフェアな議論を放逐するのは無理だって事は理解している。だが、アンフェアな議論をした時にはせめてアンフェアだという自覚の発露くらいあってもいいだろう。

*1:行政の中には、ネットをセンサーにして、ネット上で観察された、自殺や犯罪の兆候を、実行防止に役立てようとしている人たちもいる。彼らのやり方が正しいとは言わないけれど、彼らの仕事だけ取り出せば規制によるアクセス制限でサンプリングレートが下がるより、センサーの感度向上の方がはるかに役に立つ変化のはずだ。