高校の先生って偉いなぁ

と思うのは、たとえばバブルとは何かという事を考えるにも先日挙げた地価の公式が成立する事が、「虚業の都合にあわせて市場が変質し、実物の値段が実用価値と乖離すると、生身の人間にはついていけなくなる」なんて理解の仕方ができることなのだ。

 他に、たとえば

河井寛次郎氏と永六輔氏が一緒に清水の三年坂を歩いていた時のこと。
蕎麦猪口の収集に凝っていた永六輔氏の目にとまったものがありました。
永氏「あれいいでしょう。」河井氏「いいね。いくらなら買う?」
永氏「1万円でも買います。」河井氏「あっ、そう。ちょっと聞いてごらんよ。」
永氏と店主とのやりとりがあって、500円だった。そして、500円で買って店を出て河井氏との会話。
河井氏「どうした?」永氏「買いました。」
河井氏「うん、えらい。いくらだった?」永氏「500円」
河井氏「あ、そう。まさか君500円で買ったわけじゃないだろうな。」
(中略)
河井氏「何で自分の言葉に責任がもてないの。1万円で買わなきゃ、買い物にならない。」
永氏「だって、500円って。。。」
河井氏「そういうもんじゃない。自分で1万円で買うって言った以上、1万円で買わなきゃいけない。買い物ってそういうもんなんだ。君を見損なった。」

(引用元:http://plaza.rakuten.co.jp/SuperEagle/diary/20060916/

から市場とは何かを想像して、「デフレがどんなものか」を想像してみるとか...

こういうのは、「社会科教育法」ではなく、社会学や経済学や歴史学をちゃんと身につけた人が社会科を教えていた時代に高校教育を受けられた者の「特権」なのかもしれない。ちなみに、社会科教育法を中心に勉強した人以外教員にするべきでないという方針は、たしか文教族が大騒ぎして教育改革で文部省に押し付けたもののはず。
 専門試験はしらないけれど、国家公務員I種の教養くらいまでは大学で経済をまったくならわなくてもわかる程度の難易度に抑えられているから、官僚になるほどの資質の人であれば良い高校教育だけでも対応できるはずであると思う。