車間距離問題についての妄想

うーん、西成氏の渋滞学でも思ったんだけど、「密度が低ければ渋滞は発生しないよ論」の困った所はいずれ(低速実験、高速道路の実測)も教習所的安全車間*1より短い車間距離を対象にしてるところ。
 「公序良俗に従い不法行為をおそれる小市民」的には法を逸脱したところを相手にしてるわけだ。もちろん、世の中そういう小市民ばかりではないから、実際の道路はそういう小市民から見て法を逸脱した状態に常にある。
 で、「密度が低ければ渋滞は発生しないよ」仮説が社会に突きつけているのは、「自分が事故を起こしたり、事故に巻き込まれるよりは渋滞に巻き込まれる方がまし」という価値観で考えると、「安全のための最低限の規則を守れないということを前提にして渋滞対策をするよりは、常に安全の確保の方が優先していい。安全確保がなされた時にはすでに渋滞はなくなっているのだから」という事なんじゃないかと思う。
 とりあえず、有用だよ。それだけはまちがいない。

追記:なんで国際条約でsufficientと表現される部分が日本の法律だと「必要な」になるんだろうね。私は義務教育の算数でこの文脈でのsufficientに相当する言葉は「十分な」と習ったからある違和感なんだろうか。

*1:裁判所的安全車間や交通取り締まり的安全車間とは多分違う