交換の正義を実現するのは行政の仕事じゃない気がする。

なんかのバトンみたいw
http://d.hatena.ne.jp/rajendra/20080323

図書館は分配の正義に立脚した組織である。市場経済の根本は交換の正義であるから、市場経済の論理を相手にする限り図書館は永久に撤退戦を強いられる運命にある。しかしながら市場経済が我々の生活を豊かにしたことは確かであるし、そもそも自分は市場経済による自由と進歩を大いに享受している身であるから、世の諸制度を分配の正義に基づいて設計し直せなどとは口が裂けても言えない。その壮大な実験を試みて破綻した先例を我々は知っている。交換の正義に立脚した世界にあって、リソースのいくばくかを分配の正義のために供出すること。その程度が今の妥当な均衡点であろう。

http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/
[雑感]「交換の正義」と「分配の正義」

民主的決定システムが擬似市場システムのような役割を果たすとされるわけだが、左右どちらかの政党が政権を担ったとする場合はその時点においては明らかにどちらかの正義に偏った配分にならざるを得ないことから市場における均衡の概念とは性質を異にするようにも思われる。もちろんこれは最も単純な原理的な話をしているわけで、現実の政治過程はもっと複雑だ。(特に日本の場合は事実上政権交代が無いし他の先進各国と事情は異なる。)

余談だが、やや不思議に思ったのは大阪府橋下知事が公共施設の整理を進めるが図書館は別格、のような発言をしていたことだ。図書館ほど分配の正義に立脚していて交換の正義からすれば「無駄」な存在もないと思うのだが、徹底した市場主義者と思われる彼の頭の中でどのような論理が働いているのかはよくわからないところがある。もちろん図書館職員のアウトソーシング化のような施策については彼の下でさらに推し進められることも当然予想されるのだが、優先順位としてのそもそも論があるわけで、そこが引っかかるところでもある。

少なくともGHQ体制以降の我が国の国と地方行政の組織は「分配の正義」以外の役割を持たないのが基本だと思う。
現行法の枠組みでは、行政とは、「交換の正義」の世界の住人たちの代表が議会で合意のもと、例外的に「分配の正義」を実施する機関として設置されるものだから。(我が国の法律では行政の他に「分配の正義」を実現する私的な組織として公教育を担う学校法人や保育や介護を担う社会福祉法人、医療を担う医療法人などもある。)

 例えば、公有地内の借地営業であった新世界や浅草六区が事業者に払い下げされたのは行政体がその財力を基盤に「交換の正義」に介入する事はよくないという前提があり、それにもとづいて行政機関の財産から除外されたからだ。
 また、公務員法では、政府の従業員である公務員に社会主義的、全体主義的に行動する「全体の奉仕者」(≒分配者?)である事を求め、宣誓させ、「交換の正義」から決別する事を要求している。
 役所の仕事として最低限の条件は「交換の正義では実現出来ない事を行う」であり、まして個々の公務員が「交換の正義」にもとづいて仕事をする事は許されていない。

 例にある図書館もまた文化の重要な部分である資料の保存(文化の世代間分配)と公開を通じた社会教育(同世代内の文化の分配)を目的に、文化の「交換の正義」を守る著作権法の原則外にはみ出して活動する組織だ。*1

 「国民負担率」は、すなふきんさんやrajendraさんのいう均衡のポイントを計るための数字そのものではないのか?


 上の二つのブログの元ネタの下の記事のような図書館や博物館などが苦しくなった原因は「分配の正義」に従っているために「交換の正義」に直面し、国民負担率を下げるために苦労しているのではないと思う。

http://d.hatena.ne.jp/machida77/20080316/p1
図書館業界の腐りゆく状況

図書館業界のブログを見ていると、その辺のお寒い事情をよく分からずに*3高い理想を掲げて現状を批判しているところばかりで泣けてくる。人材とそのためのコストに対する配慮が少なすぎる。あなたが気にしているサービスを行う主体は、多くは極めて大雑把な仕様に従って業務を行っている民間企業やNPOなのだ。過去の仕事をなぞることはできても高度なサービスの構築や向上など望むべくもない。例え自治体や大学に図書館運営・サービスに対する不満や要望の声が伝わっても、結局は民間の末端のパート・アルバイトに負担が要求されるだけのことなのだ。そこまで理解している図書館関連のブログが一体いくつあることか。

こうなる原因は、はっきり言ってしまえば文部科学省-教育委員会という行政システムの中で、社会教育は学校教育のオマケに過ぎないという組織上の問題だと思う。
「学校党」である中教審教育委員会で議論される限り、「社会教育を学校の仕事にする」とか、「図書館、博物館をどれだけ学校の役に立つ組織に変えるか」という事が議論の主題になる。*2
しかも、彼らは議会的なプロセスから隔離された存在でもある。

彼らがまともに利用者の立場で社会教育の役割を考えていたのなら、あるいは議会が「分配の正義と交換の正義の仲介者」の役割できちんと介入出来ていたら、都道府県単位くらいに対応する国立図書館駅弁大学みたいな)、市町村単位くらいに対応する都道府県立図書館、中学校区程度に対応する市町村立図書館というような図書館システムになっていたんじゃないかなぁ。

追記:
国民負担率への圧力がある間は、全般的にあらゆる行政サービス部門が圧迫されるだろう。それ自体は「分配の正義」と「交換の正義」の間の緊張関係として仕方がない。その意味で、サービス水準を下げて財政再建するという橋下氏の公約は健全なのかも知れないが、自分が価値を認める分野だけ選択するという形をとるのならば、「全体の奉仕者の長」である事を放擲したとみてもいいのかもしれない。

*1:そのため図書館の基本機能のアウトソーシング著作権法上許されてないのだが......

*2:参考:http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo2/siryou/006/07112609.htm