すみれ色の自由

 別に全体を通じてオリジナリティのある話ではない。


 まず、ニュートンの虹の7色というのは、後でわかったけどとても合理的な区分だという話から。

たまに、周波数は連続だから、虹を何色に分けようとそんな事は意味がないとかいう人がいるけど、これはそのひとが人間というものや自分自身を観察する能力が欠如しているからだろう。


 今、エネルギーが等しく連続した波長スペクトル上にある単色を、ABC3種類の光ディテクタで検出するとする。ABCはそれぞれ異なる検出感度のピーク波長をもち、A,B,Cの順でピーク波長が長い。ピーク以外の波長に対してもピークからのずれが一定の範囲に収まればピークよりも低い出力をとる。
AはBの検出感度のピーク波長では僅かな出力しかとらず、A,Bのピークの中間の波長では1/2くらいの感度、Cのピーク波長では全く感度を持たない。BはA、Cのピーク波長では僅かな出力しかとらない程度にディテクタの感度はオーバーラップしている。
 こういうディテクタでスペクトルを適当な数に分割する基準となる波長を決定すると、いくつ基準となる波長がとれるだろうか?
 簡単には3つ、それぞれのディテクタのピークの波長を採用する方法がある。
出力(A,B,C)が、(1,0,0)(0,1,0)(0,0,1)で切るってやりかただ。

もうちょっと欲しい?じゃ、ディテクタ出力をある適当な閾値で切って、0、1で符号化して3bitの情報にして、8つ基準波長をとれるだろうか?
でも出力(A,B,C)=(1,1,1)とかが出て来たらそれは単色ではないから、空席ができちゃう。

出力(A)のピーク
出力(A)=出力(B)
出力(B)のピーク
出力(B)=出力(C)
出力(C)のピーク
の5つなら簡単に基準ができる。

でも、こうすると、ディテクタに感度がある波長の(1,0,0)と(0,0,1)の範囲が大きすぎる。出力(A)だけがピークの半分くらいの単色と、出力(C)だけがピークの半分くらいの単色もわけられる。

そうすると5つ+2、7つの周波数が基準としてとれる。

人間の目には実際に三種類のディテクターが入っていて、赤、緑、青の波長で光を捉えてるから、7色の基準は人間の肉体をつかった基準波長として非常に合理的なんですね。ニュートンすげえな。*1

画面上でシミュレーションするのも簡単
red
orange
yellow
green
blue
indigo
violet
ほらね。*2

で、ここまでが前置き。

この七色は、現代の日本では赤・だいだい・黄・緑・青・あいいろ・紫とする事になっている。だから見えないほど波長が短いのは紫外線で、波長が長いのは赤外線と呼ばれてたりする。

でも、画面上で上の一番下の■が紫に見える人って、います?
紫って、

みたいな原色にはない赤と青の混じった色じゃないですか?
人間の目で見る限り、紫に該当する波長なんて存在しないですよね。英語の色名にも該当する原色はないです。



これ、実は政府の統制。

その色を紫と呼びなさいと学校の先生や研究者は指令されている。

もともとは
赤・橙・黄・緑・青・藍・菫

見えないほど波長の短い光は菫外線と言われていたんだけど、菫の字の使用が禁止されたので、紫をあててるのね。

 イギリスと日本で、近縁の分類(スミレ科スミレ属)に属するvioletとスミレの色で代表させてお互いの理解が可能って、物理学と生理学と植物分類学って異なる科学の成果が互いに肯定的に重なりあっててとても素晴らしいと思うのね*3

そして、でも、スミレ色は絶対に紫ではない。
目を使って観察するかぎり、生理学的に紫に見えてはいけない。
色の判別は人間の臓器を見る場合でも、土を見る場合でも、植物を見る場合でも、観察という行為のものすごく基礎になる情報だから、あいまいに規定してはいけない。
科学的な観察で見えてないものを記載しては絶対にいけない。

自分自身をリベラルだとか、そういうレッテル張りするのはやめようとおもうけど、画面でシミュレーションできるような非科学的な政府の統制を放置しておいて、violetをすみれ色って言う自由がないような国で、Ultra Violetを紫外線って言いながら、リベラリズムとか言ってる奴とか、学校に携帯持ってくるなとかってなにやってんだろうね。

追記:
スミレ属は、赤系統の色素や黄色系統の色素も持ってますから、紫色のスミレはあります。
スミレを代表する色として、(一部の国語学者以外は)そういう色を思い浮かべないというのはおそらく、日本でも、英国でもいっしょだと思います。

ついでにyahoo知恵袋の見解は↓
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q112886066

英語版wikipediaでは「色彩学上、紫色はスペクトル上の色ではなく、すみれ色は全く紫ではない」のに対して、日本語版wikipediaでは「すみれ色は江戸紫に近い色」としてます。

私は江戸紫の染め物がすみれ色に見えた事は一度もないですね。

 スペクトルカラーのすみれ色が江戸紫(青に近い紫)に見えるという奴がいたら、赤色に反応するセンサーが青色にも反応してるのに、緑色のセンサーが青色に反応してないことになります。
 そういう奴はたぶん大多数のヒトとは色覚が共通してない(一定数います)か、正当化のために平気で嘘をつく人ですね。

追記4:
召還呪文を書いたからだと思うけれど、はしょって書いた部分についてコメント欄で松尾先生からごもっともなご指摘をいただいた。いろいろ追記したりしてみた。

青より波長が短くなると感覚的には紫に近い青になりますね。紺色って奴です。赤のセンサーが青い光も多少感じるからというのも正しいです。でも紫に見えるほど赤くは見えないはずなんですよ。波長が短い方では、赤センサーと青センサーの感度はほぼ比率を保って一緒に下がっていきますから。

 せっかくだから昼休みに標準白板の上でレーベル面に色が使われてないCDで太陽光から作った分光と色見本を比色してみましたよ。文章書いてるのは夕方ですが。

分光が見える一番短波長側は、環境光の効果を入れてもせいぜいマンセルの色相で7.5PB-10PBくらいに見えます。PBですから、感覚的には紫がかった青と言ってもいいのでしょう。

 でも、日本で紫と言われる領域(伝統色を含みます。マンセルの色相で0.5P〜5RPくらい)は僕の目では「短波長と長波長を混ぜないとでない色(色彩学上のpurpleの色域の定義ですね)」に一致するみたいですね。江戸紫みたいな3〜5Pなんてスペクトル上にはまったく見えませんでした。*4ググると出てくる理科の教科書や大学の物理の先生のつかうパワポみたいなド派手な赤みがかった、しかも藍色部分より明るい紫色(多くは5Pくらいに表現されてるように見えますが......人によっては5RP...映写装置かディスプレイの調整がうまくいってない人が多いのかもしれません。)には見えませんね。

 僕はマンセル環の色相が弁別できてるようですし、一般的な色名称との整合感も良好ですから、色覚が普通の人と大きく違うわけでもなさそうです。

 短波長側が紺色より赤みがかって見えるのはひょっとすると、網膜状のセンサーの数や密度や微妙な特性が違うのかもしれませんが、ちゃんと比色させてPB(紺)でなくP(紫)の領域に見えるという人にあった事もありません。

 日本語の「紫」の弁別って、かなり人間の生理と感覚と心理と染色技術と物理学に正直なんだと思いますよ(少なくとも物理や国語の先生や文部科学省よりは)。

 それにしても、分光のすみれ色(2PくらいのJISのすみれ色ではない。)は、色相ではインディゴの藍色とほとんど見分けがつかないのに、暗いのか明るいのか、よくわからないような感覚があって、すごく不思議な光ですね。スミレの透明感のある花弁を拡大して見た感じと確かに似ているような気がしますが、じっと見ていると目が疲れます。

*1:追記3:ニュートンは初期にはred/yellow/green/blue/violetの五色にわけ、後でredをredとorangeに、violetをindigoとvioletに分割している。科学史的には7音階と関連づけるために無理に分けたって事で落ちついてるけど、実際にプリズムや回折格子を使ってみると、色相はほとんど違わないのに、不思議に「暗く輝く」部分が見えるので、私は7色の方が合理的だと思ってる。

*2:追記2:実際の分光の見え方をシミュレートしているので、redがa0000でorangeがff0000だったりする。ちゃんと赤とオレンジに見えるでしょ?JIS標準色には全く一致しないけれど、この方が分光の見え方に近い。

*3:スミレ属ってすごい勢いで昆虫と共進化してて、昆虫が人間より波長の短い側に感度の高い視覚を持ってるってのも重なるか

*4:色彩学的には見えたら僕の色覚がおかしいんですがw