安全に走行できる車間距離はどのくらいか?

ジェミニのCMはスゴいと思うのだけれど、ああいう走行を公道でやられたらたまらない。
では車の密度の指標としてどのくらいなら安全と見られているのだろうか?
一般的には0−30km/hでの安全な車間距離というのは速度計の読みから15を引いた値のメートルだと言われていて、私はそのように教習を受けた。実際の道路環境ではこの距離を維持する事は難しいが、難しくても保たなければ安全に運転していたと主張する事は出来ず、そのリスクはドライバーが自分で負わねばならないと教わった。運転免許は速度と車間距離の意味が分かり、それを実際にコントロールできる人間にしか与えられないと教わった。

この場合の車間距離は前車の後端と自車の前端との距離であって、新聞記事*1がほのめかす運転席と運転席の距離ではない。で、実験での通常の交通用語でいう車間距離は10mか、5.5mか、断定はさける。
が、どっちにしろ、時速30キロの安全車間を切っているのだから、車が安全に走行できるとはみなされない距離なのは明らかだ。
道路上であれば徐行(慎重に最大限の注意をはらって即座に停止できる状態を保ちながら進行)すべき車間であることになる。
別の言い方をしようか、そこまで車間がつまっていたら、運転の仕方を変えて意図的に相転移させるべきだと、運転免許を持っている人は教育されているはずである。

また、こういう実験をマスコミに流す時には当然ながら「危険ですから真似をしないで下さい」と書くべきであろう。
こういう実験は運転免許を持ってる人がやった方がいいと思うんだけど、物理学者の皆さんって車の運転なさらないのですか?

コメント欄での指摘を受けて追記:
日本の法令に照らして、密度が上昇した状態でスムースに走れる事は全く想定外であるし、そういう事をしないように教育されたドライバーを使ってこの実験は行われている。研究のキモは相転移が起きる事自体ではなく、相転移がシミュレーションできる事だと思う。だから、渋滞緩和のためといいつつ、渋滞の発生に関係ない道路建設を見抜いたりできるようになる画期的な技術に育ちそうな予感はする。基礎的な学術研究として非常に価値の高いものだと思ってますよ。正しいから、優秀だからこそ、それを慎重に表現する義務が重くなるのであって、批判する価値のないアホ研究なんかじゃ絶対にない。

New Journal of physics見に行っちゃったよ。

http://www.iop.org/EJ/abstract/1367-2630/10/3/033001/
「Traffic jams without bottlenecks ―experimental evidence for the physical mechanism of the formation of a jam」
きくち先生はブログで本文やアブストラクトを読めば科学的だとわかる、ちゃんとした論文じゃなきゃこういうご立派なジャーナルには載らないと言っていて、それなりに期待して読んだ。科学的な内容に疑義はあまりなかった。また、研究の有用性もある。

でも、ニセ科学だと思った。
アブストラクトに至るリンクの見出しでは「An accident? Construction work? A bottleneck? No, just too much traffic」となっている。これはこの論文で実証した実験から「交通事故やボトルネックが存在しても渋滞が発生しないこと」を証明しなければ使っちゃいけない言葉遣いじゃないか?
センセーショナルな内容に見せかけるための誇大広告に等しい。
なにやら難しい実験の後に、この原理はこの布団でも成り立ってると言って布団を高く売ったらニセ科学でしょ。

また、「安全距離未満で車を走行させる」という実験参加者が身体的な被害をこうむりうる実験を実施したにもかかわらず、いかなる機関が倫理審査を行ったか書いていない。これには驚いた。普通は、倫理面での審査でリジェクトされるような気がするが。インパクトファクター3.75もあってこういう雑誌がまだあったんですね。*1

*1:追記:実際には大学の倫理委員会等が審査していても本文には載せない雑誌もあるのかもしれない。

今政府が考えてる中には.....

何度か書いたけど、東京の平均旅行速度は18km/hもある。平面交叉/信号付きの交通システムでは一方向の開放時間は1/2以下って制限がかかるので、都市部では規制速度の1/2弱で走行できれば交通は円滑と考えられる。現状で渋滞が全体的な効用を著しく下げるような事は起きてないか、渋滞をカバーするだけの違法行為が蔓延しているという事だろう。でも多くの人は理想的な状況でも絶対に満足しないんだよね。

渋谷のでかい交差点ではいつも車が200mくらい並んでますが、200m並んでても長さ5mの車に平均で1.4人くらいしか乗車してないんだから、たった50人か60か、そんぐらいしか待ってない。んで、何百人という人が道路を横断したくて信号を待っている。*1
今の政府は都市内の自動車旅行速度を倍にするプランなんてのも検討してるらしい。アホですよね。*2

それと、いい研究は論文でも新聞記事でも書籍でも、このアホらしい社会に出て行くのにふさわしく武装させなくちゃいかんと思うのですよ。

*1:待ちきれなくて信号無視して自転車にひかれた方がなくなられたそうですが。

*2:そんなんより、お母さんとコドモが手をつないで歩いても向こうから来た人と普通にすれちがえ、速度や車間をキープした車が走ってる道路が欲しいよ。

車間距離問題についての妄想

うーん、西成氏の渋滞学でも思ったんだけど、「密度が低ければ渋滞は発生しないよ論」の困った所はいずれ(低速実験、高速道路の実測)も教習所的安全車間*1より短い車間距離を対象にしてるところ。
 「公序良俗に従い不法行為をおそれる小市民」的には法を逸脱したところを相手にしてるわけだ。もちろん、世の中そういう小市民ばかりではないから、実際の道路はそういう小市民から見て法を逸脱した状態に常にある。
 で、「密度が低ければ渋滞は発生しないよ」仮説が社会に突きつけているのは、「自分が事故を起こしたり、事故に巻き込まれるよりは渋滞に巻き込まれる方がまし」という価値観で考えると、「安全のための最低限の規則を守れないということを前提にして渋滞対策をするよりは、常に安全の確保の方が優先していい。安全確保がなされた時にはすでに渋滞はなくなっているのだから」という事なんじゃないかと思う。
 とりあえず、有用だよ。それだけはまちがいない。

追記:なんで国際条約でsufficientと表現される部分が日本の法律だと「必要な」になるんだろうね。私は義務教育の算数でこの文脈でのsufficientに相当する言葉は「十分な」と習ったからある違和感なんだろうか。

*1:裁判所的安全車間や交通取り締まり的安全車間とは多分違う