フリードマン的な小さな政府とは何か?
夜警国家という言葉がある。福祉国家と違い、政府は国防や外交、警察などに専念し、経済への介入は極力抑えた「政府の役割が小さい国家」らしい。
ではフリードマン流の「小さな国家」とはなんなのか?
おそらく、市場での国家の役割が小さくなっていて、政府は国内市場を外部の悪影響から守るような仕事、いわば「市場の境界条件の整備」をする事に専念している状態ではないか?(大きい政府とは何かというと、国内市場に介入しすぎてどんどん政府が肥大している状態かな。)
市場の境界条件の整備にはどんな仕事があるだろうか?
防衛庁の仕事、国防は多分市場の境界条件の整備の一つだろう。警察の仕事は秩序ある市場を無秩序な市場の影響から守る事にある。だから境界条件の整備。では環境省はどうだろう。これも境界条件の整備かもしれない。厚生労働省の仕事はどうだろう?年金も社会保険も市場への介入そのものだかもしれない。国土交通省は?国民の安全を守る仕事は境界条件の整備だけど、道路整備や都市開発は違うのかな?経産省、まさに大きな政府の省庁だっぽい。よくわからないけれど昔の通産省の役人の話が新聞に出ていたのを読んだ限りでは、大きい政府っぽい。旧郵政省は戦費調達目的で始めたような事業の部分が大きな政府だろうね。*1
で、小泉政権の改革とやらで、「小さな政府」の仕事をきちんと残して「大きな政府の仕事」を排除するような整理がされていたか?
規制と見れば、刑法を除いたすべての規制法を緩和してはいなかったか?大きな政府としての仕事の規模を縮小せずに巨大な市場介入を続ける事を約束しなかったか?なにを廃止して何を残しているか、冷静に観察すれば、小泉政権はサプライサイドへのてこ入れによる市場介入と年金と健康保険を安堵し、その他の政府機能を縮小した。これは結果的に政府を大きい方向に持っていく事に他ならない。*2
今の政権の言う小さな政府とは、単純に予算規模の小さな政府なので、フリードマン氏の言う小さな政府とは似ても似つかないと私は思う。